自分を叱ってくれる友達の大切さ
友達と一言でいっても、色々な繋がりがあると思います。
愚痴をはけたり、馬鹿ができたり、相談したり、ライバルだったり、いろいろです。
私にも友達、親友と言える友がいて、私が立ち止まっているとき、叱ろうとしてくれます。
それがどれ程ありがたいことか、と思ったので、その思いに任せて記事を書いてみたいと思います。ではいってみよー。
なかなか叱ることはできない
叱るということは、対等な立場の場合、叱る側も叱られる側も、難しい立ち位置になると思います。
対等な関係ならば、忠告にはなっても、叱るということにはそうならないからです。
ですが、場合によってはそうなり得ます。叱られる側があまりに不甲斐ないとき、立ち位置に差がつきすぎている時です。
とはいえ、言う側も簡単には「叱る」ことはできません。そうしてしまえば、立ち位置が変わりかねませんし、反感をかって関係が崩れる可能性もあります。
対等な立場から、叱ることは相当なハードルがあると言っていいでしょう。
それでも叱ってくれる友達
叱るということにはそれだけのハードルがあり、簡単なことではありません。
ですが、私の友達はそれをしてくれます。
まぁ、私があまりにふがいないと言うことでもあるので、単純にありがたいありがたいと言っていていいことではないのですが、それでもそういう友が居ることは、ありがたいことです。
自分が恵まれていることに目を向けつつ、友に感謝しつつ、期待に答えられるよう頑張らないとと思います。
友達で居続けること
叱られることに慣れてしまったら、友達でいられない気がします。
上下関係のある友人関係もあるのでしょうが、私の場合はそれはなしだと思うからです。
なので、この友人関係を続けるためには、不甲斐ない立場を脱却し、対等な関係を築き続けねばなりません。
自分はそうありたいと思うし、友を失わないためにも、そうあらねばと思います。
おわりに
まず、この記事を書いている今ですが、酔っています。
なかなかに恥ずかしいことを書いている気もしていますが、気にしないことにしました。
恥ずかしい気はするけど、たぶん間違ってないと思います。なので、書きました。
いい友達を持ったこと、もっと頑張らなきゃなことを思いつつ、記事を終わりたいと思います。
あなたに、叱ってくれる友達はいますか?
居たら、大事にしてください。大切な友達です。
そんなところで、今回はここまで。おわり!
約500記事のブログを放置したら意外とPVを保っているという話
今読んでいただいているこの「灰色の棚」というブログ、これまでの総記事数が517記事、この記事で518記事になります。
右の月別アーカイブを見ていただけると分かるように、2014年はたくさん記事を書いていたものの、2015年頭から手を抜き始め、今年に至ってはこの記事で4つ目という放置系ブログです。
2015年1月に月間3万PVちょっと、というのが最高記録なこのブログですが、放置している間のPVはどうなっていたのか、どのくらい下がったのか。
ブログを放置した時のPV遷移の一例として、公開したいと思います!
Google Analyticsによるデータです。それでは、いってみよー。
Google Analyticsより
(画像を公開していましたが、どうもAnalyticsの規約違反になりそうなので削除しました)
ざっとこんな感じな移り変わりをしています。どうでしょう? 記事数の割に保っているというのが私の感想なのですが、どう思われますか?
2015年1月をピークに下がり調子ではありますが、2015年8月ごろから月1万PVくらいで安定し、今も9000から10000くらいです。
2015年2月からのページ別PVを見てみると、MinecraftとSkyrimとTwitter検索の記事が強い様子。調べてみると全PVの86%ほどが検索トラフィックなので、検索に強いページにPVが集中しているのは当たり前と言えば当たり前な気がします。
もう一つの放置ブログの話
私はもう一つPVが安定した放置ブログを所持しているのですが、そっちは2記事しか書いていません。
このブログです。
このMinecraftのブログですが、2記事しかないけど7000~8000PVほどで安定しています。2015年2月に書いて、7月にMaxの15000PVほどになり、じわじわと減りつつも安定という感じです。
2記事のうちの片方は今でもまぁ必要とされうる情報で、画像を使ったりしてしっかり説明したのが良かったのかなーと思ったりしますが、ここまで伸びて安定するとは思っていなかったのでびっくりでした。
Minecraftの記事はかけることがまだ結構あるので、このブログの記事を増やしたらもう少し人が来たりするかな? と思いながら早数か月……。結局、放置しています。
おわりに
久々にブログ書きたいなーと思った時に、「放置しているということがネタになるぞ」とピンと来たので、書いてみました。
ネタを拾うアンテナが錆びつきまくってる感じはしますが、最低限は動くかなという感じ。錆を取るにはとにかくネタを探して記事を書くしかないよなーと思うので、気が向いたらやってみようと思います。
検索に引っかかる記事を持っていれば、PVは意外と維持されるっぽいという話でした。
では、今回はこのへんで。おわり!
艦これはなぜ面白いのか。出戻り提督の考え
ここ数か月、まったりと艦これを楽しんでいます。
結構前に始めたもののすぐ飽きて、なんとなく気分で復帰したらドはまりした出戻り提督です。
まだ手に入ってない艦娘も多く、全体的に育ってない新人提督に毛が生えたくらいの状態ですが、なぜ艦これが面白いのかを考えてみたいと思います。
18時半までメンテで触れませんしね。
では、いってみよー。
艦これに飽きた理由
私が艦これを始めてすぐ、数日で飽きてやめた理由は、「右も左も分からなかったから」だったと思います。
とりあえず任務をクリアしていくだけで、ステージを進んでいくだけで、何が面白いのかが分からない。そんな感じでした。
好きな艦娘を育てるといっても、パッと一目ぼれしたりもなかったし、そもそも出てきてない娘は存在を知らないし、と微妙な感じ。
目的が分からず、自分なりの目標も持てなかったのが、いったん飽きてやめるのにつながりました。
艦これにハマった理由
出戻った理由は「なんとなく」でしかなかったのですが、そこでハマったのは「イベントに参加しているうちにやりたいことが増えたから」です。
2-4もクリアできていない状態で夏イベが始まり、E-1丙だけでもクリアしたいと育てたりいろいろしているうちに、ハマりました。
結果的にE-2丙まではクリアしたかな。E-3は突破できませんでしたが。
進んでいくうちに全体像が見えてきて、艦娘も増えて育てたいという欲求も出てきて、よい装備が欲しかったり特定の艦娘を迎えたかったり、次々と「やりたいこと」が出てきました。
目標さえあれば、日常的に遊ぶ理由(任務、イベントの準備)もモチベーション要因(レベリング、装備集め、改修、艦娘探しなど)もあって、ずぶずぶとハマっていきました。
一度ハマると長くハマれる構造
艦これを遊んでいて思うのは、構造がいいなということです。
デイリーやウィークリーなどの反復任務で日々の目的付けがあり、イベントという大きな目標もあって、毎日ちょっとずつ触ることに意味が大きいこと。
キャラクター(艦娘)が多く、それぞれに能力的・外見的な特徴があり、並行して育てておかないと困る部分もあり、手間をかけて育てることで愛着がわいたり、苦労して迎えることで気に入ったり、多くの中から好きな子を見つけられること。
ガチャで期間限定のキャラクターが、というような日常的に課金欲求に悩まされるポイントがないので、お金で殴る快感は薄い代わりに無駄遣いの罪悪感を抱くようなことも少ないこと。その割にレアな子の入手法はいろいろあるので、苦労して手に入れた嬉しさはあること。
艦これと一般的なスマホゲーム・ソーシャルゲームとを比べると、艦これの方が少ない労力で遊べるような気がします。
ちょっとずつ時間を取られる要素はあるけど、基本的にはルーチンワークなので日課で頭を使ったり技術が必要なことも少なく、淡々と続けられるのがひとつ。
イベントが多すぎず間隔が開いているため、常に追われている感じになりにくいこと。イベントの日数が長めで、今やらないとまずいということが少なめなことがひとつ。
私がこれまで触ったスマホゲームやソーシャルゲームだと、イベントが次々来てしかもそれ限定の何かがあってプレイしないといけない気分になり、有利に進めるためにはガチャをひく必要があるけど確定でもないしひくためのポイントが慢性的に不足するため課金欲求と常に戦わされ、と疲れるんですよね。
艦これはそこが薄いので、最初の目的を見つけられないとハマらないものの、そこさえクリアすれば面白く遊び続けられる形だなと思います。
一通り遊びつくしたら?
艦これは始まってから結構経つゲームなので、新規よりも古参の方が圧倒的に多く、イベント以外にやることが減ってきている人も多いように思います。
私くらいの新参者だとまだ任務も結構残っているし、お迎えできていない艦娘も多く、装備も全然で、とやることは多いのですが、時間をかければ少しずつでも揃ってくることだと思うので、いつかはやることが減ってくると思います。
そうなった時にどういう感想を抱くのか、続けるモチベーションが保たれるのかはまだ分かりません。イベントに参加した経験が少ないので、そこにハマれるかどうかという気もしますが。イベントがとにかく楽しいと思えば、それの準備を続けることはしそうですしね。
これから秋刀魚漁のようですし、秋イベも来月だよねって感じですし、楽しんで見極めていきたいと思います。
おわりに
タイトルの「艦これはなぜ面白いのか」の答えは、記事中に結構散りばめました。
ひとことで「これ」というのは難しいので、記事中から私の考えをくみ取ってもらえると嬉しいです。
さて、20分くらいで書きましたが、まだ17時にもなっていません。あと2時間弱ですねー。
初めての秋刀魚漁も楽しみだし、来月の秋イベも楽しみだし、昨日大型建造で出たビスマルクも育てたいし、楽しみややりたいことはいっぱいです。
やりすぎない程度にハマって、楽しんでいきたいと思います!
それでは今回はこのへんで。おわり!
メンテナンス状況:メンテナンス実施中です。
— 「艦これ」開発/運営 (@KanColle_STAFF) 2016年10月21日
「艦これ」稼働全サーバ群はメンテナンス&アップデート作業を実施中です。同作業は後半シークエンスに入りました。このまま順調に推移すれば、【18:00】前後より本日のメンテナンスに伴うアップデート情報をお知らせできる見込みです。#艦これ
「叶えたかった」じゃない、「叶える」んだよ!!
久しぶりにはてなブログの記事を書くところを開いたら、お題か何かで『叶えたかった「夢」は何?』と書いてありました。
それを見てタイトルに書いたような言葉が浮かんだけど、浮かんだだけな瞬希です。深い意味は無いです。
まぁ、せっかくなのではてなブログから出ていたお題、『夢と挫折』について書いてみたいと思います。
『叶えたかった「夢」は何?』じゃないのかYO!
では、いってみよー。
諦める夢、諦めなくてもいい夢
夢と一言で言っても、人生のうちに期限があってどこかで諦めざるをえない夢と、いつまでも抱き続けてかまわない夢があると思います。
28歳の私が「プロ野球選手になりたい!」って言うのはまぁ無理がありますが、「いつか富士山に登りたい」と言うのはいつまでも言い続けていいですよね、現時点では別に登りたくもないですが。
年齢制限があったり、到達するためには子どもの頃からのすごい時間の訓練が必要なことだったり、そういう夢はまぁ、諦めてもしかたがないと思います。諦める「べき」とは思わないので持ち続けてもいいけど、辛いなら捨ててしまえばいいと思います。
そうでない夢、いつになってもできることだったり、やる気とか勇気とかがあればという夢は、捨てなくてもいいと思います。捨ててはいけない、とは思わないので、それも辛ければ捨てちゃえばいいと思いますけどね。夢に振り回されてもしかたがないし、うまく使ってやればいいと、私は思います。
2つの夢を間違わないよう
ひとつだけ思うとすれば、上に挙げた2種類を間違うというか、諦めなくていい夢を諦めて仕方がない夢だと思い込むのは、残念な気がします。そう思うことで諦めやすいんだ、というならまぁそれはそれですが、絶対無理だから仕方がないと諦めなくていい夢を諦めるのは残念かなという感じですね。
上に出した例だと、「足を悪くしたからもう富士山には登れない」はちょっと早いと思うということ。諦めずに探せば、より楽に登る方法が見つかるかもしれませんよね。場合によっては、リハビリで登れるところまで回復するとかそういうパターンもあるかもです。
28からプロ棋士を目指すのは無謀だけど、プロゲーマーを目指すのは、いきなり仕事をやめるとかじゃなければいいと思うんです。プロゲーマーになるって夢を持って練習したり大会に出たりとか。絶対捨てなきゃいけないことじゃないと思います。
挫折もいいと思うしかない
とりあえず夢については言いたいこと言えたのでこんな感じですが、あとは挫折ですね。
私は大学時代に、それまでの夢を捨てました。このブログに何をどこまで書いてたか忘れたのでぼかしますが、わりと大転換な感じな挫折でした。「俺にこの職業は無理だな」と悟ってしまって。無理すれば数年はできるかもしれないけど、自分も周りも不幸にするだけかなと思ったんです。
で、大学もやめて、ぜんぜん違うアルバイトを始めてみたり、それもやめて自分でいろいろ始めてみていますが、今のところ挫折時の「俺には無理」という気持ちは変わっていませんし、後悔は少ないです。
全然ないわけじゃないけど、おそらくそのまま進んだほうがよりきつかっただろうと思いますしね。
夢を諦めても
ただ、そのまま進んだ時よりも幸せになりたい、と思うことは多いです。あのまま行ったら潰れてて、挫折して道を変えても潰れた、だと悲しいなと。道を変えたなら、よりプラスになったと思いたいです。
「挫折したからこの出会いがあった」とか、「挫折したからこんなに幸せになれた」とか、胸を張れるようになれればいいと思います。最後に勝てば、なんでもいいのです。どうせ、「挫折しなかったら」なんてifは空想の産物でしか無くて、誰にも分かりっこないのだから、「あっちに進まなくてよかったかな」と思えれば勝ちです。
と、自分に言い聞かせて頑張ろうとしています。
勝てば官軍、自分のルールは自分で作れ!
夢と挫折について、2つの言葉でまとめたいと思います。
ひとつ目は、「勝てば官軍」という言葉。続きもあるけどまぁそれはよくて、人生最後に勝ったと思えたらいいんじゃない、ということです。
ふたつ目は、「自分のルールは自分で作れ!」と。別に誰かの言葉の引用ってわけではないです。意味はそのまま、自分の人生の勝敗を決めるルールは、自分で作ればいいと思うってこと。勝利条件も敗北条件も自由にできるゲームで、なんで負けるんでしょう?
何にもいいことがなくて、孤独で、辛いばかりの人生だったと死にかけで思っても、「最後に食べたご飯が美味しかったから勝ち」でいいと思います。「間際に幸せな記憶が思い出せたから勝ち」とか。
挫折した時点で負けが確定とか早すぎだし、自分で設定できる敗北条件を厳しくしすぎ。勝利条件こそ緩くして、幸せのハードルを下げればいいと思います。
おわりに
最後にタイトルに対応した、とっさの思い付きでない私の考えを書いて終わります。
「叶えたかった」じゃない、「叶える」でもない、「どうあっても幸せ」になろうよ!
ってこと。夢を持つのもそれに向かって頑張るのもいいけど、振り回されずに生きたいです。
では、今回はこのへんで。おわり!
Netflix火花お題「夢と挫折」
Sponsored by Netflix
今が当たり前と思うのは格好いいだろうか
ちょっと気の利いた書き出しでスタートしようかと思ったけど、読み返したら全く面白くも上手くもなかったので全消しした瞬希です。お久しぶりでーす。
さて、潜ったまま浮かんでこないものの、死んだんじゃねと思われることもなく忘れられてるというか思い出されないんじゃないかという私ですが(自虐)、とくに問題も感じないので適当にやっていきたいと思います。
書くこと決めてないけど、適当にいってみよー。
インターネットとは何か
答え:知るか
刀を大上段に構えて前蹴りを放った感じですが、私こういうの結構好きです。
まぁ、人がこんなこと書いてても特に感想もない感じだと思いますが。でも、好み的には何か答えられるより上かなと。
私にとってインターネットは居場所だったり救いだったり沼だったりしますが、それって私だけの話ですよね。
同じような思いの人もそれなりにいそうな気がするけど、一般化できるほどではないと思うし、時間によって変化していくものだとも思います。
そこで「自分というものを表現するのに絶好の場所なのです(ドヤァ」とか言われたら、カチンとまでは来ずともスルー推奨リストに予約されるくらいはありえます。他のつながりのある人とかなら対応も変わりますが、初見で合わないかもって感じた人も逃せないほど人が居ないわけでもないですしね。
って感じだなって思いつつ回答を考えると、知るかってありじゃないかなーと。言い方は知りませんでも存じ上げませんでも記憶にございません…は違うか…まぁなんでもいいんですが、答えないのもありだと思うわけです。
もちろん、私にとってはと前置いて答えてもいいんですけどね。でも、そう答えてもらえるのが当たり前みたいになるのはめんどくせーと思います。
親切をあてにすんな
書いてて思っただけなので最初からこれを書こうとか思ってたわけじゃないんですが、思いついたので書きます。
親切をあてにするのやめたら、って思います。
私はボランティアってのが嫌いです。というか、最初からそれらをあてにした計画が嫌いです。
自分がするのは別にやりたくてやる分にはいいし、人がすることにも口出す気ないです。けど、計画段階から盛り込んで、それなしでは立ちいかないようなものはどうかと思います。
みんなで作ろうって感じの、ボランティアだけで成り立ってみんなが満足するものならいいと思うんです。すごく。
でも、そうじゃないものが多すぎませんか?
バイト雇えよとか、まず参加費なりの金取れよってことをボランティアで回すことって、好きじゃないです。
苦肉の策って側面は見えても、常態化しすぎ。当たり前にそんなものでしょってなってますよね。
そうなっちゃうともう、やる方もやる方だって言いたくもなってくるわけで。善意と嫌々の境目が分からなくなってプラスなことって多くないと思うんですよね。やらせる側の短期的な目線ではプラスなところもあるでしょうけど、それでいいんですかねぇ。
ボランティアに限らず
やってくれたら「ありがとう」ってなる方がいいと思います。やって当然、何でやってくれないんだってなるよりも。
昔は良かったとか、本当かぁ〜って思いますが、最近tnxって見なくなった気がするな、とか思っちゃうんですよね。
実際は使わなくなったって方が正しくて、感謝が薄くなってるってことかもしれないけど、そうだったら嫌だなーと思います。気をつけたいなともですね。
教えてもらうとか、話しかけてもらうとか、気づいてもらうとか、何だって当たり前って思いたくないです。思わない方がいいんじゃないかと思います。
いろんなものが便利になって、ハードルが下がって、当たり前になっていく。でもその向こうには人がいて、昔だったらもっと時間がかかっていたそれをすぐ実現できる何かがあって、その何かができるまでにはきっといろんな苦労もあって。
たまたま今ここにいるから、それを当然のように口にする。
それがダメってわけじゃなく、敬意を持ったり感謝したり、そういう気持ちをどこかに持った方が格好いい気がするなって話です。
インターネットをみても私はやっと新参とは言えなくなってきたかなってくらいの「いいとこ取りしてる」側に属すると思いますが、それでもここ数年で入ってきた人が文句だけ言ってるとうぁーって思うんですよね。
こんなに楽になったのになとか、いろいろ苦労あったんだけどなとか。私が私だけが何かやったわけじゃないし、代表面して何か言うのも違うと思うからほとんど何もいいませんが、うぁーって。
善意がどうこうってレベルでも無くなってきた気がするけど、なにごともあって当然と思いたくないなという話でした。
おわりに
今が恵まれてるから文句言うな、っていう気はないしそれは違うと思うんですよ。そう言えば進歩が止まってしまうと思うので。
でも、やってもらうことが当然とか、あって当たり前だろうって思って欲しくないこと多い気がするな、と思うので。
13年前に戻りたいとは思わないけど、13年前があるから今があるんじゃないかなとか、ふわっと思った感じです。
私がやったことなんて塵ほどもないだろうし、言う権利がある気はしてませんけどね。まぁ、自分のブログに書くくらいはお目こぼしください。
という感じで今回はここまで。おわり!
12年ぶりに将棋ブーム再来中!
最近はてなブログでちょくちょく将棋の話題を見る気がしますが、影響されてかそうでないのか、私も将棋熱が再燃しています。
中学時代にはよく指したけど、もう12年ほど離れていて。でも久々に指すと楽しいです。
というわけで、将棋のことを書きたいと思います! いってみよー。
アプリで人と戦ってます
iPhoneのアプリでやってます。将棋ウォーズと将棋クエストというアプリです。
はてなブログでは将棋ウォーズのほうがよく目にしますが、無課金だと1日3局までなのでたくさんできません。で、物足りなくなって(でも課金は面倒で)将棋クエストというアプリも入れました。
どちらも10分切れ負けで、さくさくできるのがいいですね。まぁ、割とよく時間切れ負けしますが……。相手は人なのでなかなか勝ちまくれず、えっちらおっちらやってます。
段位とか
将棋ウォーズは2級、将棋クエストは4級です。将棋ウォーズの方は調べるとよくある壁みたいですねー。
両方ここまではサクサクと上がってきたんですが、この級位でかなり足踏みしています。結構勝ち越せないと上がれないのかなー。
将棋クエストの方はレート1500が昇級条件のようなのですが、1460~1480くらいでふらふらしてます。うーん、難しい……。
得意戦法とか
アプリを入れてすぐは棒銀(&金矢倉)ばかりやっていました。で、級が上がらなくなってから四間飛車&(高)美濃囲いも導入。
棒銀は勝つ時はサクッと、負ける時もサクッとです。分かりやすい。対して四間飛車は勝つ時は苦労することが多く、負けるときはあっさり。使いこなせていない感が凄いです。
正直棒銀だけしてた時のほうが勝率はいいんですが、いろいろやってみたくなったので他のものもやってみます。とはいえ本を買ってきたりちゃんと調べたりも面倒なので、ざっくり調べてあとは使いながら覚えて、たまにまた調べるという方向でやっていくつもりです。
おわりに
将棋初心者というわけでもないし特に練習法がどうのとか書けない気がしていますが、そろそろ昔とった杵柄の伸びしろがなくなってきたので、研究しないとです。
そういう試行錯誤を記事にしたら、面白く思ってもらえたりするかな?
という感じで夜な夜な将棋を指しているせいで、最近ちょっと寝不足な瞬希でした。
では今回はこのへんで。おわり!
求:運動嫌いが運動するようになる方法
私は運動が嫌いです。
というと語弊がある気がしますが、基本的には動いたりするの面倒だし、スポーツは見るのもするのもほぼ興味ないし、できることならば寝てるか椅子に座ってるくらいで過ごしたい人です。
例外的に水泳は小さい頃から中学くらいまでしていたので好きでしたが、それもここ数年泳いでないし、離れています。
と、運動とか面倒だ~という人なのですが、体力不足が身にしみたり、ダイエットしたかったりで運動した方がいいなぁとは思います。
どうすれば、運動ができるでしょうか? そういうことについて書いてみます。
分かんねぇ
結論から書いておきますと、私には分かりません。分かるならやってます。
目的を持つことが必要なのかなと思うけど、ダイエットというのもなかなか続かないし、何かが上手くなりたいとか早くなりたいとか思わないし、難しい。
特に意味もなく嫌いなことをするって、難しいですよね。できることなら動きたくない人が無目的に運動するのは難しいと思います。
それでも意思が強い人ならばできちゃうのかもしれないけど、私の意思は急いで作ったトランプタワーよりも弱いレベルなので、無理ですね。
となると、どうしたらいいのでしょうか?
目的になりうるもの
目的が必要ならば、それを探すしか無いよなぁということで、思いついた目的・目標になりそうなものを列挙してみます。
- マラソンで完走を目指す
- 長距離歩く大会で完歩を目指す
- 徒歩で旅をする
とりあえず思いついたのはこんな感じ。自転車とかが最近熱い気もするけど、投資できるお金もないし自転車は怖い(車目線で)ので除きました。
マラソンはまぁ分かりやすいし、数年前から歩き旅とか100キロウォークみたいなものに興味はなくもないかなーという感じ。ただ、そのためにトレーニングとして日々走ったり歩いたりするぞ、とはなかなかならなくて。
あと、人にこういう話をすると、わりと「興味があるって程度じゃ厳しい」みたいなこと言われるんですよね。せっかくだから煽ってくれると嬉しいんだけど、なかなか。
興味を持つ→調べる→情報収集→諦める→時間が経つ→以下繰り返し、というのがここ数年の流れです。
なにかしたい、のかなぁ
そもそも本当にしたくないならば、しなければいいと思います。運動した方がいいのは確かかもしれないけど、無理矢理ストレスためてするほどのことかな、と。
でも、何度も調べたりするくらいだし、自分の中に「何かしたい」という思いがあるような気もするんですよね。
深く考えると、「達成感がほしい」というのは確かにありそうですし。成功体験が欲しい、でも同じです。
今までチャレンジしたことがないことをやってみて、成功して、達成感を味わう。そういうことに憧れる気持ちはある気がします。
おわりに
だからやるぞ、とか書けないんですが、なんとなーくやる気が上がった気がします。最大100のところ、5から8になったくらいには。
なにかやるとしたらリアルと密接に関係しそうなので、あまり報告しないかもしれませんが、多分Twitterなりで漏れ出すと思うので、よかったら適当に見てやってください。
うーん、なにかやるかな。やれるかな。
という感じで今回はここまで。おわり!