灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

ゲーム・アニメなどの「お約束」はいわゆる「ロマン」である


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日本のゲームやアニメを批判する時、リアリティが無かったり、特に意味のなさそうに見えるお約束が槍玉に挙げられることが見受けられる。
なぜ、主人公が少年少女なのかとか、装備の肌の見える面積が広いのかとか、そういうの。

指摘は一見正しいのだが、私はそれらの批判を受けても、リアルさを追い求める必要はないと考える。
特に、国内向けのものまで、リアリティ重視に偏るのはどうかと。

なぜなら、それらはこれまでに積み上げられた「ロマン」の塊だからだ。
こうあったら、燃える、もしくは萌える、とか、こうあったら格好いいとか、そういうイメージの塊。
それを捨てるなんてもったいない。

確かに、それらを持っていたら、海外で大ヒットはしないかもしれない。
だが、逆にだ。それらを持っていなくて、国内で大ヒットするだろうか? そして、それを持っていないというだけでは、海外でも大ヒットするとは限らないではないか。

海外で戦うために、国内を切り捨てるなら、それもいい。
国内を切り捨てたのに、海外でも戦えない、そうならないといいが。
せっかく戦える市場があるのに、それを捨てるのもどうなのかと思うが。

海外のゲームが、国内であまりはやらないのにもおそらく理由があるだろう。
表現が直接的すぎる(血しぶきとか、死体とか)とか、造形が可愛い、格好いいと思えないとか。

市場の差もあるだろうが、なぜ「日本のゲームが海外で通用しない理由」は注目して「海外のゲームが日本で通用しない理由」には注目しない場合が多いのか。
日本の市場は、決して小さくない。世界の15%を占めているのだ。この数字が小さいという人は、日本がどれだけ大きいと思っているのだろうか。

日本の市場だけでは利益を出せないのかもしれないが、では世界の市場で成功する方法は?
市場が小さくなった、競争が激しくなった、でも今までどおり、もしくはそれ以上に金をかけて作る!
では、そもそもうまくいくはずがないと思うのだが。

世界と言っても、いろいろあるというのもある。
例えば、欧米では流行らなくとも、アジアでは流行る場合があるものもある。
キャラクターものなどは、意外といけるのではないかと見えたりもする。

「日本のゲームはこれだから」のような意見をよく目にすること。発言者が外国の人でも、日本人がそれを真に受けすぎている気がすること。
そんなことが気になったので、書いてみた。

日本のゲームの分からないところをつついている外国の人は、なぜ日本のゲームをそんなに知っているのか。
なぜ、わざわざ指摘ようと思うのか。
そのあたりも、考えてみると面白い気がする。

お約束はお約束。リアルはリアル。
せっかくのフィクションの世界なのだから、リアルを持ち込まなくてもいいではないか。
持ち込んでも、いいけど。わざわざ入ってきて引っ掻き回されるのは、面倒だ。