灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

出る杭は打たれる。打たれた君という杭は、どの方向に出ている?


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出る杭は打たれるという言葉がある。
実際、ちょっと目立つと叩かれたりというのって、あると思う。

出る杭は打たれるというのは好きでないが、「俺が叩かれるのは出る杭だからなんだぜ」みたいな発言も、「ん?」と思うことがある。
そんなこと誰が言うんだと思われるかもしれないが、そういうこと言う人、たまにいるので。
たまに、違和感を覚えることがある。

やっかみで叩くのは、おかしい

出る杭は打たれる、言葉通りのパターンだと、出る杭に対する感情はやっかみだ。
あいつが成功しているの羨ましいから、成功を壊してやれ、という考え方。明らかにおかしいと思う。

成功者を引きずり下ろしても、その人が成功者になれるわけではない。
そんな簡単なこと、分かっていないはずはないと思うのだが、なぜか出る杭を打とうと構えて待っているような人は存在する。
出る杭がないか探しまわる時間があるなら、何かしら行動を起こしたほうが成功する可能性も高まると思うのだが。

それは、叩かれているの? 注意されているの?

出る杭は打たれるのはおかしいが、自分から「俺は出る杭だから叩かれた」と言う人が本当に出る杭だったケースは少ないような気がする。
やっかみで叩かれているのではなく、注意されたり、批判されたりしたことを、叩かれたと勘違いしているケースだ。

まぁ、そういう人も出る杭といえば出る杭なのかもしれない。
「出る杭は打たれる」の出る杭が優れているものを意味するとき、こちらは常識はずれなことを意味するような気がするが。

常識が全てだ、人は人にあわせなければならない、と強弁する気は無い。
無いが、程度によるだろう。ルールやマナーを常軌を逸したレベルで破るならば、周りからの何かしらのアクションはあっておかしくない。
そしてそれらのアクションは、一方的な叩きとは言われないだろう。

注意や批判というのは、素直に聞きづらいものだ。耳に痛い場合が多いし、すぐに受け取れないことはよくあると思う。
だが、それを「やっかみでの叩きだ」と勝手に断定し、無視することに決めるのはどうかと思う。
まずは自分の中を振り返って、相手の話にも一応耳を傾けて、それから判断すべきではないだろうか。


出る杭は打たれるという言葉、実際に存在する状況をよく表しているが、そうでない場合にも自分を擁護するために使える言葉だ。
叩かれた、と思ったのなら、なぜ叩かれたのかを考えたい。
意味がない、もしくは言いがかりであると考えられる時に初めて、「出る杭は打たれるってやつか?」と候補に入れたい。

いくら考えても分からなくて、言いがかりだと思うしかない場合もあるかもしれないが、それはまぁ、しかたがないかなと思う。
そこまでなら、言われたことを全部無視するしかない。
法律に引っかかるレベルならば、警察もしくは裁判沙汰になるだろうし、そうでないならどこかに規制されるかもしれない、というだけだろう。

となると、自分のやることが正しいと絶対的に信じている人が強いのかもなぁという結論になってしまうが、ある意味それもあると思うので、今回はこの辺りで止めておこう。

出る杭は打たれる。
あなたが打たれたと感じた時、それは出る杭だからなのかには、一考の価値があると考える。