灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

ふらふらしていることが悪だと言われたら悲しいな


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世の中の全ての人が、信念を持って生きているというわけではないと思う。
私も、あなたの信念は何ですか、と問われても、おそらく答えられない。

そんなふらふらした人が、ふらふらした言葉を発するのは、いけないことだろうか?
ふらふらした態度を示すのは、悪いことだろうか?

ちょっとだけ、考えてみる。

ふらふらって何

まず、ふらふらとは何か。
はっきりしない、という意味と捉えてもらっていいと思う。

考え中、とか、わからない、とか、保留、とか。
そういう態度や返事をすることが多い人。
あと、前と言ってることが変わったりすることがある人。

そういう人を、ふらふらしている人、と思っている。

そりゃ、はっきりした人のほうが強いさ

はっきりものを言える人のほうが強いのは分かるし、信念があって考えが変わらないなら、強いと思う。

だけど、そんな強さを持っていないことは、非難されるべきことなのだろうか?
強くなければ、意見を言ってはいけないのだろうか?

私はそうは思わない。
「私はこう思っているんだよ(今は)」でいいじゃないかと思う。
「私はこう考え始めたよ(今度は)」でいいじゃないかと思う。

変わらないということは強いことだけど、成長もない気がする。
思い込んだら一直線、もう絶対変えない、というのは私は好きじゃない。

ふらふらでも、いいじゃん

自分の頭で考えて、なんでかなーって思って、納得できたら意見を変えることもある。
そういう人のほうが私は好ましいと思う。

これは、絶対に、こう。
あれは、絶対に、そう。っていう人より、ずっと、見ていたいと思う。

ふらふらでも、いいじゃんって、思うんだけどな。
うーん、これは自分がふらふらしているから、擁護したいだけなのかな。