灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

普通に対する考え方。「特別」になりたいのか、「異常」を脱したいのか。


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「普通の人」というコンプレックス - ぼくら社Blog
 この記事を読んで、考えた。

 厳密には、「上の記事のタイトルを読んで、考えた」と、言えるかも知れない(中身も読みましたが)。

 とにかく、思いついたことがあるので書いてみたい。

普通になりたい自分、普通でありたくない自分

 「普通の人」と聞いた時、そうなりたいという自分と、そうでありたくないという自分が、私の中にあるということに気がついた。

 最初は意味がわからなかったが、よくよく考えてみると、「病気のない普通の状態になりたい」という気持ちと「ありきたりな普通の人では居たくない」という気持ちに、矛盾がないことに気がついた。

病気をしている状態 = 異常、という思い

 私は、今の病気があって何事も思うように出来ないような状態が、普通だと思いたくないという気持ちがある。そして、それが異常であるとして、普通になりたいと思っている。

 これは、病気でなくとも、あてはまることがありそうだと思う。コンプレックスとか、そうだろう。自分が異常だと思ったら、普通に憧れるのは自然な気がする。その「異常さ」によって、害を受けていれば特にだ。

ありきたりでない = 特別、という思い

 私は、人とは違う何かを持ちたいという気持ちがある。特別な何かが欲しいと思い、普通でありたくないと思っている。

 変わっていると言われたい。自分の強みだといえる、何かが欲しい。そんな気持ちがある。「特別さ」を持って、それで戦いたい、と思う。

普通より上にいきたい。普通より下にいきたくない。

 普通より上が特別で、下が異常だと思う。益を受けるか、害を受けるか、という基準での上下だ。

 下から見れば、上にいきたくなる。上から見れば、下にはいきたくないと思う。おそらく、自然な感情だろう。害を受け続けたいとは思わないだろうし、益を手放したいとも思わないだろうからだ。

 普通の人になりたいか、なりたくないか。そういうことかな、と考えた。

見方を変えれば、変わるものもある

 この上下は、不変のものではないと思う。コンプレックスが強みに変わる場合だってある。特別だと思っていたら、それによってよくないことが起きるかもしれない。

 普通、という基準だって、あやふやだ。周りの平均だとしても、周りの人間が変われば、変化するだろう。自分の中では普通でも、人から見たら特別だったり、その逆もあるだろう。

 「普通の人」からの振れ幅を「個性」だと捉えて、上手く付き合っていく方法も、あるかもしれない。

「自分が」どうなりたいか

 普通になりたい、普通でありたくない。どちらもあるということが、分かった。ではどうするか。

 結局は、「自分が」どうなりたいか、だと思う。人と比べて、普通だとか普通じゃないとかじゃなくて。自分が、どうなりたいか。何ができるようになりたいか。何を無くしていきたいか。

 あの人に勝ちたい、はいい。だが、みんなの平均より高い位置にいたい、はやめたい。平均に見える何かなどという、あやふやなものを基準にしない。もっと絶対的な基準で、何かを目指したい。


 「普通の人」という言葉だけで、これだけのことを思いついた。頭の中でひらめいて、ブログで言葉にしていて固まった。

 私は何になりたいのか。どうありたいのか。もう一度、考えてみたい。