灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

今日を私の3つ目の「始まりの日」にしよう!


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 私には、始まりの日と思っている日が2つあります。

 1つ目が、1988年4月12日で、生まれた日。2つ目が、2005年の10月26日(多分)で、一度死んだことにした日。
 そして、今日。2014年3月31日を、3つ目の始まりの日にしたいと考えました。

 これだけではなんのことか全く伝わらないと思うので、ちょっぴり思いを書いてみたいと思います。

要するに、変わった日

 誕生日はまぁ、そこからスタートなのでいいとして、2つ目のことをちょっと説明します。
 2つ目の時、高校2年生の私は、まぁそうとう病んでいて、学校にも行けてなくて、なかなかに大変でした。で、どうしようもねぇなーと悩んだり鬱々したりしていたのですが、ある日、もう死のうと思いました。

 ですが、自殺するのはなんとなく気が引けたので、死んだことにしてちょっとだけ自由にやってみるか、と考えました。なんというか、吹っ切れた感じで。10月の終わり頃でした。多分26日ですが、確実じゃないです。記憶が……。

 で、なぜか3年に進級できたり(日数はあと1日でも休んだら無理だった)、長年の片思いを玉砕という形で終わらせたり、大学の講義(高校生対象)に参加してみたり、いろいろやって、微妙に持ち直しました。
 3年でも留年の危機に瀕しますが、病みきってた2年の時よりはましで、卒業はできるわ大学にも合格するわ、まぁ、うまくいきました。

そして今

 大学に進学後にも病みまくったり辞めたり、働き出したけど結局やめたりあるわけですが、それ以降、「変わった日」というのは明確にはないです。思ったことまではある気がする(このブログの記事を読み返しても存在しそうだ)けど、結局変われなくて。

 でも、そろそろいろんなことが面倒になってきたし、本に影響を受けたりもして、ひとつ変わってみるかと考えました。

 具体的に、何をしたいかというと、

  • 出来ないことを出来るようにする方法を考えるのをやめる
  • 出来ることをやって、それを未来につなげていくことを考える

 ぱっと出すと、この2つ。

 まず、1つ目は、考えてても始まらないってやつです。結局、考えても行動できないんじゃ、何も始まらない。なら考えるのをやめるべきだと思いました。
 2つ目は、考えないなら、考えなくても出来そうなことからやってみようということ。動いて探そうということ。

 会社をやめるときに、とりあえず公務員を目指してみようかと思ったりしましたが、無理そうだと思えてならず、どうやっても歩き出せないのでとりあえず考えるのやめます。
 で、やりたくない仕事を無理に探して無理に続けるとか、やっぱり無理そうなので、やりたい仕事を探してみます。で、潜入してみます。結局ダメでやめるかもしれないけど、まずやってみます。

人は、出来ることしか、出来ない

 私が刺激を受けた本に、「出来ない」というのは本当の理由を見ないようにしているだけ、という風にありましたが、まぁ、そう言い換えられなくもないけど、私の考える出来ないはそうではないことにしておこうと思います。

 そりゃ、「自分に合わない働き方を無理に続けることは負担が大きすぎて体も心も持たないからしない」と言い換えられるけど、私はそれを「出来ない」と定義しとこうということです。
 なぜ言い換えないかといえば、「しない」とすると、『普通に皆が出来るはずのことをやりたくないからしないなんて怠けている』と自分で自分を責めはじめる部分が出てくるからです。

 何でもかんでも出来ないと言う気は全くないけど、出来ないことは出来ないとはっきり言わないと潰れてしまいます。で、潰れかけているのが現状だと考えて、そこから脱却しようという時です。なので、出来ないことを認めて、他の方法を考えようと思いました。

今日という日に

 まずは2週間くらい、罪悪感とか鬱々した感じとか一切忘れて、ガッツリ考えてみようと思います。
 で、本気で考えて何が出来るか何がしたいかを、適当な順番でやってみる。それかなと。

 幸いにも、生きるか死ぬかの瀬戸際じゃないし、やれるだけやろうと思います。

 あー。時間が。


 やります。やろう。やるぞ!