無職だからこそ『いつもと違う』ことを求めていかないと危ない
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祖父母の家から帰ってきました。自分の部屋はやっぱり落ち着くなぁと思う、瞬希です。
自分の部屋は完全に自分のテリトリーなので、そりゃぁ落ち着くのですが、今回の帰省で感じたことがあります。それは、いつもと違うこと、を求めていく必要があるということです。
どういう意味か、それはなぜか、などを記事にしたいと思います。
いつもと違うことを求めていくとは
普段とは違う場所に行く。いつもしないことをする。そういう機会を積極的に作っていくこと、それをいつもと違うことを求めていくこと、とします。
例えば今回の帰省は、いつもと違う環境に身を置くという状況でした。祖父母の家は今まで何度も滞在しているとはいえ、ずっと住んでいるわけではなく、「外」のイメージが強い。そこに身をおくことは、普段と違う感覚を呼び起こしてくれたような気がしました。
なぜ違うことを求めていくか
理由は簡単です。それは、ずっと同じだと慣れてしまうから、です。
特に、仕事とかしてなくて外にも出なくてという状況だと、新しいことは自分から見つけるしかありません。普通にしていたらせいぜいネットのニュースに驚くくらい。それでは少ないと思います。
やはり、外に出て刺激を受けたり、誰かと久しぶりに会ったり、新しいことにチャレンジしたり、そういうことって必要だと思いました。
慣れてしまうとどうなるか
前の記事にも書きましたが、物ごとに慣れると人はその体感時間を飛ばし始めるようです。いつもと同じように、なんの刺激もなくだらだらして、それで時間が過ぎていく状況。どう考えても良くはないと思います。
そして、それに慣れるほどに時間の進みが早くなるとしたら。すごく怖いです。何も変わらないままに時間がすぎるのが怖いです。
慣れは、それが当たり前という感覚を生むのも怖いところだと思います。ずっとこうだから、このままがいいという感覚。それが出来てしまえば、変わるのは大変です。
変化を嫌い始める前に、刺激を与え続けることが大切かなと思いました。
いろいろ探して、突撃していこう
変化や刺激を探していかないと大変なことになりそうだと気づいたので、出来るだけいろいろなことをしてみたいと思います。何かが先につながるかもしれませんしね。何もしないよりはいいはず。
とりあえず、5月は半ばまでに2つほど用事が入っているし、他にも何かないか、自分で何かできないか探してみます。
停滞に慣れると、停滞が続くことは以前の経験でも知っているつもりでしたが、再確認できて良かったです。
では、今回はこのへんで。おわりー。