灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

ネット巡回の頻度の話。時間を空ける楽しさもあるんだな。 ※脱線長いです


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 あなたはお気に入りのブログの更新をどのくらいの頻度でチェックしていますか?

 毎日PCを開く人ならば毎日であったり1日に何度もチェックするかと思います。私も基本的にはそこに属していて、手が空くと更新がないか見てました。


 それはそれでいいと思うのですが、今年に入ってから他のことをしたりネットから遠ざかる期間があり、たまに見るというのも楽しいなと感じ始めました。

 だから毎日見るのをやめなさい、というつもりは全くないけど、こういう考え方もあるかもと紹介してみたいと思います。では、いってみよー。

毎日見る楽しさ

 まず毎日見に行く楽しさについて考えてみると、次が来ないかなというワクワク感や話題についていって参加(コメントとかはてブとか言及とか)できることが挙げられるかと思います。

 たまに見るという形だとどうしても乗り遅れるので機を逸する事が多いし、見ない間は忘れている位の感覚でないと我慢することになるのでワクワク感を維持しにくいです。そんな感じで、これらが頻繁に見に行く時だけ味わえる楽しさかなと考えました。

たまに見る楽しさ

 対してたまに見る楽しさは、掘り出す楽しさが定期的に味わえること、話題に巻き込まれず俯瞰的に見やすいことだと思います。

 毎日見る方が取りこぼしは少ないけど、1記事単位で見るのでまとめてガッツリ読むという感覚にはあまりならないかと思います。たまに見ると記事がたまっているので、どれを読もうかなと選んだり時間を書けてまとめて読むような楽しみ方が出来ます。

 流れに乗り遅れるというのは、落ち着いてから全体を見れるということでもあると思います。自分も物申したいという気持ちがなければ、記事が出てくるごとに読んで振り回されつつ考えるよりもひと通り出揃ってから全体を見渡したほうが自分なりの考えをまとめるのが楽ではないでしょうか。

一長一短

 ネットを巡る行為を楽しみのためにするのなら、メリット・デメリットなどと利で考える必要はないと思いますが、あえて考えるとすればいろいろありそうです。

 毎日見れば、新しい情報を手に入れられるけど毎日一定の時間が取られるし気も取られるかもしれない。たまに見るなら、自分の都合のいい時間にまとめて時間を取れるけど、最新情報として話の種にするには遅くなっているものも増えるかもしれない。


 楽しさであれ、メリット・デメリットであれ、基本的には表裏の関係にあるものばかりな気がします。絶対どちらがいいというわけではなく、やりたいようにやればいいという話ではないかと思います。

長い脱線(タイトルの内容と関係ないです!)

 ブログの記事を書きながら来そうな反応を考えてしまい、記事中で「こう言われるかもしれないけど~」と脱線し始めるのは私の悪い癖かもしれません。が、思いついたので脱線します。


 あーだこーだ言って最終的に「どっちでもいい」みたいなまとめ方をした記事に対して「意味が無い(ゴミ記事だ)」というようなコメントを残していく方、たまにいるように思います。そんな反応(自分で書いた記事の反応だけでなく、人のブログのブコメとかでも)に対していつも「いやいや」と思います。

 いろいろ出すけど最終的にどちらと決めないという形の記事は、「こういう考え方もある」という意見としての意味や「どちらが上といえる問題ではない」という結論が出ているという意味があると読めるパターンが多いと思います。意味が無いと断じるようなコメントは「私は想像力がありません」と言っているようなものではないでしょうか。周りを不快にする自己紹介は自分のブログでやって欲しいです。

 あとは「意味がなくて何が悪い」という考え方もできるように思います。悪いとは言ってないみたいな反論も考えられますが、否定的な言葉だけ投げておいて好意的に捉えろよと言うのは厳しい気がします。意味が無いとかゴミ記事だとか、考えれば「意味って何」とか「ゴミで笑った私は何なの」みたいな話になっていきます。物に対して「これはゴミです!」って張り紙(←これこそ確実にゴミ)をして何になるのかという気もしますし。

 結論が出ないという結論というものを理解できない人がちょくちょく見受けられるけど、反論の機会が基本的にないので書いてみました。


 脱線が長いとか、関係ないことが挟まっているとか言われそうな気もしたので(その通りではありますが)、見出しをこんな感じにしています。

 別に論文書いてるわけじゃないんだし、脱線しようが話が散らばろうがいいと思うんですけどね。私はそういう記事も好きなんですが、まぁ人それぞれですね。


 上の文章がところどころ無駄に攻撃的になってる自覚はありますが、書き換え始めると全部消したくなりそうなのでそのまま出します。もっとけちょんけちょんに書くこともできそうなのを、かなり好意的に解釈してマイルドに書いた結果がこれです。

 庭を開放しているからといって、ゴミを置いていく人に苦言を吐いてはいけないということはないと思うんです。その庭で焚き火をして焼き芋を作ってたら、ガソリンを注ぐ人が出てきて家に引火し全焼。悪いのは誰なんでしょう?(炎上案件が全部そうと言う気はさらさら無いです。焚き火レベルでない火を使ってて風で燃え移ったみたいな、庭の人が悪いパターンが大半だと思います)


 本気で脱線が長くなってきたので、タイトルにも入れました。これでどれだけ脱線しても大丈夫!(違う)

 ここまで長くなるとこれ単品で記事にしたほうが良かったかなという感じですね。しないけど。最初から「人の庭にゴミ捨てていくな」という記事を書こうとはあまり思わないんですよねー。書いてたらそうなったというパターンならまぁいいけど。

 よし、話を戻します。

時間を空けたら見えたもの、見えなくなったもの(本線です)

 毎日見ていると気づけないものってあると思います。普通になりすぎていて違和感を感じなくなっていたこととか、時間が経つと違った見え方をしてきます。

 何でもですが、のめり込みすぎると周りが見えなくなってくると思います。毎日見てる人に心酔しきってみたり、敵とみなしてぶつかってみたり。考え方が偏っていったり、いろいろあります。

 そんな時に時間を置いて、少しだけ違った視点を持つこと。自分にも周りにもいいことが起きるかもしれないし、楽しいこともありそうだと感じました。


 まぁ、見えなくなるものもあるんですけどね。最も大きいのは「人がいなくなる」ことです。

 ネットだけの繋がりというものは非常にもろく、何かのきっかけで簡単に失われるものです。数週間見てなかったらアカウントが無くなっててそれっきり、みたいなこと結構あります。

 毎日見てたら最後のツイートを見れたかもしれないのにとか、せめて何があったのか知れたかもとか思うことがあります。どうしようもないので割り切るしか無いですけどね。そんなもんだよなーと思ってないと、いきなりだとショックを受けることがあるので注意です。

おわりに

 3000字くらいの記事になりました。脱線が3分の1以上ありそうかな?

 「毎日見ろ!」とか「毎日見るな!」とかでなく、それぞれの良さを知って自分にあったものを探せばいいんじゃない? と思います。

 それぞれの頻度の良さはこんなところかもしれない、と思ったことを書いてみました。


 では、今回はこのへんで。おわり!