こんな時代だからこそ「適当ライフ」を始めませんか?
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生活の中に「こういう方向性を持って動く」という柱があると、楽なのかなぁと思います。一部の行為をルーチン化して、決定に思考を挟まないでいい状態を作ることは、精神的なコストの削減に繋がりそうかなという気がします。
ひとつに固執する気もないけど、「何かないかな」と思い探したんですが、私が基本的に既存のもので満足できる性格でないからか、しっくり来ませんでした。
最近は物を持たない方向の話をよく目にするけど、ちょっと求めているものと違いそうですしね。
無いなら作ればいいじゃなーいということで、新たな(探せばありそうだけど)考え方の方向性を提示してみたいと思います。その名も「適当ライフ」。
私も実践できて無い部分多すぎると思うので、まだ考えただけだけど、説明していきますね!
適当ライフとは
適当ライフで検索すると、はてなブログで書かれているブログが出てきて焦りましたが、関係ないです。方向性も違いそうでした。
特に何を見てというわけでなく、私が適当に考えて名づけたものです。いろいろなものと被る部分はあると思いますが、基本的に関係ありません。
適当ライフの柱になる3つの考え方は、以下のとおり。
- 身の丈にあった生活を心がける(適当な生活)
- みんなの幸せを作ろうとする (適当な行動)
- 強いこだわりを捨て柔軟になる(適当な思考)
それぞれ説明していきます。
適当な生活
まずは、「身の丈にあった生活を心がける」というもの。これは窮屈にやれとか上を目指すなではなく、今の自分に適した生活を探そうということです。
お金を持っている人は使いたいものに使えばいい。お金があまりない人は無理せず必要なところを考えればいい。住んでいる部屋が大きければゆったりした家具を買うのもいいかもだし、小さな部屋なら家具を減らすのも手かもしれない。
何にせよ、置かれた状況によって「適当(それに適しているという意味)」な状態は違うはず。決まった何かに合わせずに、自分基準で考えようという考え方です。
今の生活はそうだけど、身の丈を伸ばそうというのも、したければするといいと思います。
あとは置かれた状況が変化した人とかに特に気をつけて欲しいかもしれないですね。周りからの目とかは気にせずに、できる範囲を見定めること、大切だと思います。
適当な行動
次は「みんなの幸せを作ろうとする」というもの。自分だけの幸せでなく、誰かだけの幸せでなく、みんなの幸せを作ろうと考えてみてはどうかということです。
前提として、自分をマイナス状態には置くことはしてはダメです。自分だけが-10で、他の99人が+10だったら合計は+980ですが、それはダメ。それよりは自分も周りも+3で合計+300みたいな方を目指します。
もう少し分かりやすく言葉にすると、「他人も自分も犠牲にしないで生きよう」ということ。誰かの不幸の上に自分の幸せを作ろうとしないで、みんなで幸せになろうよということです。
みんなギスギスしていくのは嫌だから、自分から不幸のループを外れること。不幸を押し付けてこようとする人がいても、同じ土俵でやり返さないこと。無視するなり、他の人達と固まってそんな人以外で幸せになること。
全体の総量で幸せを測るのではなく、自分の周りに不幸な人がより少ない状態を作ろうとしてはどうだろう、と思います。
適当な思考
最後に「強いこだわりを捨て柔軟になる」というもの。何事においても「絶対にこうだ」と思わず、「そうかもなー」くらいでやっていこうということです。
私だけの感覚なのかもしれませんが、強いこだわりは自分を窮屈にする気がします。決まった枠から外れられなくなって、外のものを否定したり、違う人を排除しようと動きがちに思えます。
こだわり自体は悪く無いと思うけど、盲目的に信じたりしないこと。違和感を感じたら一歩離れて見てみること。今まで信じていたものから離れることを恐れないこと。
幸せになるために、強固な信念は必須でしょうか。自分と違う考え方の人がいた時に「それは違う」となるのと、「そんな考えあるんだね」となるのと、どちらの方がみんな生きやすいでしょうか。
みんな好きに生きて、たまには影響されあいつつ、お互いを尊重しあうほうが。より穏やかで幸せなのではと、私は思います。
名前をつけた理由
正直な話、ここに書いたことはそれほど新しい考え方でもないし、そんなの当たり前と言われることも多いのではと思います。
ですが、わざわざ書きました。それはなぜかというと、名前があったほうが採用しやすいと思う人もそれなりに居るのでは、と思ったからです。
焼肉屋に行って注文するとき、カルビ3人前とロース3人前と……とバラバラに頼んでももちろん構いませんが、「3~4人くらいのセット」と書いてあるセットメニューを頼んだほうが楽という人もいますよね。
この記事の冒頭の私みたいに、「何かないかな」と探している人は、セットメニューのほうが楽な気がします。そのための名前と、3つの柱です。
「こうしたい」というものを文字に起こすことは、実現に向けた第一歩だと思います。文字にして読める、見える状態にすることは結構大切だと思います。
私が考えたことも文字にしておけば、同じ考えを持つ人が言葉を考える手間を省けるかも、と考えました。
おわりに
この「適当ライフ」は、他に言われている生き方よりも面倒くさい気はします。他のものはもっと限定的でシンプルで、「こういう時はこう」とより楽ができそうに見えますが、適当ライフは考える必要を常にいくらか残します。
それは、他の考え方が目的地に向かうための自転車だとすれば、この考え方は杖である、みたいな差だと思います。どちらも道具だけど、その実はかなり違うような。
自転車は練習しないとなかなか乗れないし、たくさんのルールがあるけど、乗ったら楽で早い。杖はシンプルで使いやすいけど、楽に早く移動する力はない。どちらを選ぶかは人次第。自動車の人もいれば、バイクの人もいれば、使わない人もいるでしょうしね。
競争社会で、情報化社会な今の時代こそ、「適当ライフ」を始めませんか?
という感じで、今回はここまで。おわり!