灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

男とか女とか、そんなどうでもいいことで騒がない


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STAP細胞の件が巷を賑わせている。
内容でも賑わせているのだろうが、研究内容のことは既に通り過ぎ、女性研究者がどうとかとかそういう方面が盛り上がっているように見える。

別に、それを否定する気もないのだが、それがどうしたんだろうとも思う。
研究者が女性だとか、男性だとか、そんなの別にどうでもいい。騒ぐほどのことだろうか、と感じてしまう。

男女差別をなくすとかそういうことの最終的な形は、男性がどうとか女性がどうとか、そういう意識をなくすことじゃないかと思う。
性差は消せないから、究極的には無くならないが、今回の話題なようなことの一部はほぼ無くなるのが理想じゃないかと。

女性なのに、男性なのに、男性のくせに、女性のくせに、女性だから、男性だから、そんなのどうでもいい。
結局、「誰」が「何」をやったのか、それだけじゃないか。
その「誰」の中に性別は入るが、性別が主じゃないと思う。基本的には「何」をやったかが重要なのだし。

いきなり完全になくしてしまえとか無茶なことを言いたいわけじゃない。
でも、いつまでも同じことをやってて、変えようともしなければ、何も変わらないだろうと思う。

テレビや新聞などといったメディアは影響力が大きいのだし、自制して欲しい。
報道のやり方というものも、少し考えてみて欲しいと思う。難しいのかもしれないが。

男女差別的なことや、プライバシーの問題、それ以外にもいろんな問題がある。
見る側が変わればいいこともあれば、見せるがわが変わったほうが早いこともある。

女とか男とか、どうでもいいことで騒がない。
もっと必要なことを教えて欲しい。