灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

君の思う「正しさ」は一体誰が保証してくれるんだ?


スポンサードリンク

特定の誰かに向けての記事というわけではないので、念のため。

さて、「正しい○○」とか、世の中にはあふれていると思う。
私の行っていることは正しい! って、思っている人多いと思う。

自分の行いが正しいと思うことは必要かつ悪くないことだと思うが、その正しさ、本当に正しいといえるものなのかは考えてみる価値があるのではないかと。
ひとりよがりの正しさほど、滑稽なものはないし。

とはいえ、誰々が言ったから正しい、というのも弱い。
いくら言った人が有名だったり、権威がある人でも、それが正しいという保証にはならない。
最終的には、人を納得させることができるかどうか、だ。

私が正しい、なぜなら私だからだ! では、誰も納得しないだろう。
理で説けないのならば、自分が正しいと理解してもらうことは難しいと思うべきだ。

まぁ、自分が正しいと思うことを、誰に理解して貰う必要もないのかもしれない。
自分だけが正しいと思って、それを信じて進んでいくなら、それはそれでいいのかもしれない。

ただし、人と一緒に何かするなら、相手にだけ合わせさせるのはどうかと思う。
自分は歩み寄らない、相手が歩み寄るべきだ。そればかりでは、誰も一緒にはいてくれない。
そして、人はひとりでは生きていけない。少なくとも現代社会において、基本的には。

自分の中に、自分なりの正しさを持つのはいい。
だが、それらはたまには見直されるべきであると、思う。