灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

コミュニケーションにおける、無言に対するスタンスの重要さ


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コミュニケーションの話題で、「話が続かない」ということを目にすることが多い。
確かに、コミュニケーションのメインは、会話などによる情報交換だと思う。
だが、それだけだろうか?

基本的にどんな時だって、会話がない、という状態はありうるだろうと思う。
無言であること、について考えてみたい。

常に話し続ける必要があるのか

上に書いたようなコミュニケーションの話題では、無言が続くことによって焦るという話が多いように思う。
そこには、「何か話さなければいけない」という意識があるのだろう。

しかし2つの点で、そうではないと考える。

まず、話し始めるのは自分だけの仕事ではないということ。
会話はふたり以上の人でやるものだ。話し始める必要があるとしても、どちらかが話し始めればいい。
それは、相手が無口だろうが、関係ない。話題があって焦れたのならば、話し出せばいいのだ。

次に、途切れなく話し続けることだけがコミュニケーションではない、ということ。
ぽつぽつ話す人に、こちらからマシンガントークをすれば、相手は何も話してくれないかもしれない。
そういう時は、無言の時間も必要だ。そして、その無言を苦にする必要はない。

話が途切れてはいけない、話し続けないといけない。
その考えのせいで、あなたは自分自身のコミュニケーション能力を過小評価していないだろうか?

話が途切れてはいけない場合なんて、そう多くない

話を途切れさせないほうが良い場合というのは、そこに意図があるときだけだと思う。
例えば、相手に反論させずに何かを押し通したい時とか、元気で口のうまい人間だと相手に思ってもらいたい時とか。

それらだって、「途切れない方がいい」のであって「途切れてはいけない」のではない。
無言が広がったなら、それまでの話を思い返して質問なりを探すなり、新しい話題がないか考えるなり、無言を楽しむなりすればいい。

そして、どちらかが話しをしたくなったら、声を出せばいい。
無言が嫌で話をしたくなったなら「聞きたいことあったんだけどなぁ」とか「うまく話を広げるって難しいですね」とかでもいいかもしれない。
時間がたてばなにか思いつくかもしれないし、どこかに移動中なら到着が近づいて「もうすぐ着きますね」かもしれないし、場を終わらせるタイミングを図っているなら「そろそろ時間が…」とかでもいいかもしれない。

無言が生じたからといって、特別焦らなくていいんだと思えれば、会話が続かないというコミュニケーションに対する苦手意識は減るのではないだろうか。

無言に対するスタンスが違うかもしれない

会社での繋がりとかならば、この人とは無言では一緒に居られない、というのもあって当然かもしれない。
だが、友達や恋人の関係で、無言になると焦る、というのは辛い場合もあるのではないかと思う。

お互いが無言を避けたいのならば、無言にならないようにお互いが話の種を探せばいい。
だが、相手が無言を受け入れていると、それがうまくいかない場合がある。

無言を苦にしない人もいる、ということは頭の片隅に入れておいていいかもしれない。
一緒にいるけど無言、という状況が十分ありな人もいるということを。

無言でもいいと思っている人に対して、無理に話題を提供し続けなくてもいいと思う。
あなたが無言が苦手で仕方がなくて、耐えられないならその旨を伝えるべきだと思うが。
意思疎通が出来ないまま、片方は無言を、片方は止まらない会話を求めるのは、お互いのためにならない。

一緒に居られるだけで楽しいと思っている無言を楽しみたい人と、一緒にいるからには止めどなく喋りたいと思っている無言が苦手な人が、お互いのスタンスを察せずに同じ時間を過ごしたら、どうなるか。
おそらく、無言が得意な方は「ずっと喋っているな」と思うだろう。場合によっては「落ち着かないな」とか「うるさいな」と思うかもしれない。
逆に、無言が苦手な方は「話すのが苦手なのかな」と思うだろう。場合によっては「自分と話したくないのかな」とか「嫌われているのかな」と思うかもしれない。

それは、すごくもったいないことだ。

どちらが歩み寄るにしろ、まずは知ること

会話には、相手がいて。相手には、相手のペースがあって。

無言で全然構わない、むしろ好き、という人はそう伝える努力を。
無言がすごく嫌い、できるだけ避けたい、と人もそう伝える努力を。

関係を良い物に、共有している時間をより有意義にするためには、そんな努力をする必要があるのだろう。

おわりに

無言を受け入れることができれば、話が続かないというコミュニケーションの苦手意識が減らせるかもしれない。
無言が苦手な人が居るということを理解すれば、相手に余計な負担をかけなくてすむ場合があるかもしれない。

コミュニケーションは、会話だけが全てじゃない。
どう同じ時間を過ごすか、自分と相手は、何を求めているのか。
そんなことも、考えていきたい。