灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

一歩でも後退したらそれは失敗だという考え方こそが、前進を阻害する


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リアルの世界で、目的地に向かって進むとき。
直線距離的には後退するようなルートを通ることは、多いし普通のことだ。

だが、サービスやコンテンツの事になると、後退を許さない人は多い。
今までより少しでも不便になったり、クオリティが下がったように見えたり、小さかったり、短かったり。
そういうことが少しでもあると、見切った、オワコンだ、と騒ぎ立てる人は少なくない。

後から見ればその動きも前進の途中だったと分かるかもしれないのに、だ。
少し下がったからといって、下がったからもうだめだ、やめよう、と言っていては、前になんか進めっこない。

最初から嫌いであら捜しをしているのなら、その行為にも理由はつけられる。
だが、好きなのならば、すぐに手のひらを返すのはどうだろう。
続きや、より良いものを作って欲しいとは、思わないのだろうか。

すべての要素を、同時に前進させることは、非常に難しい。
あちらを立てればこちらが立たず、ということは多い。

せめて、好きなもの、好きなジャンル、好きなサービスくらい、長い目で見てみてはどうだろうか。
ゲーム好きだが、このゲームは前作より後退したので叩きまくる、そのようなおかしなことをする必要が、あるだろうか。
前作よりも少しでも劣っていたら叩かれるのが常識になれば、そう簡単に長いシリーズものなどが作られなくなるのに? それを、ゲーム全体の損だとは思わないのだろうか。

全体を押し上げるためには、部分的な後退は仕方がない。
そう考えることができなければ、今後の成長は、おそらく、ない。