灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

0と100との間には、無限に近い段階があるはずなのに


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ネット社会は極論であふれている。

それが、絶対的に悪いこととは思わないが、私はあまり好きでない。
極端な意見、発言、行動はすごく他人を傷つけやすい。

どうすれば、0でも100でもない意見を表明できるか、考えてみたい。

過度な表現を使い過ぎない

何か問題を起こした人が居たとして、「こいつは罪に問われるべきだ」という記事を書きたいとする。

その時に、
「こいつが起こしたことが調べられ裁かれるべきだ」と書くか、
「こいつは悪人なので即座に死刑にすべきだ」と書くか、
もし思いが同じだとしても、表現を緩めるかどうか、断定的で直接的な表現を使うかどうかで結構違うと思う。

強い表現のほうが、人に働きかける力が強い。
だが、それは必ずしもいいことばかりではない。

自分の考えが正しく理解されやすい表現を使ったほうが、良い結果を生む場合も、多いのではないだろうか。
常に過度な表現を使えば、話題になって人が来るかもしれない。

だが、その後に待つのは、さらに強い表現を使わなければならない状況だろう。
表現を強くしたから人が来た、だから人を呼ぶために表現を強くする。
そんな中で最後まで、自分の本当の考えを残すことが出来るだろうか。

枠を大きくしすぎない

何もかもひっくるめて、一気に切ろうとしても、極端な意見になる。

人を取り上げるとき、その人を観察すれば、様々な面が見えるだろう。
そんな、様々な面を無視して、一面が全てのように書いて切るのは、簡単かもしれない。
だが、それは正しい情報といえるだろうか。

少数の問題を、全体の問題のように言い替える。
個人の問題を、同じ要素のある人全員の問題のように言い替える。

自分に関係ないと、見ているだけの人には面白いかもしれない。だが、引っ掛けられた方はたまったものではない。
それらの人の間に論争が起きて、自分の周りに人が来るかもしれない。
でも、そうして来た人は、あなたやあなたの意見を見ているだろうか?

出来る限り正確さを保つには、物事を小さく切り分けることだと思う。
この部分は、こう。その部分は、そう。他の部分は、分からない。
どうしても齟齬は出てくるが、齟齬を減らす努力は、止めないで欲しい。

こんなはずじゃなかった、と思う前に

何をやっても、勘違いされて荒れたり、攻撃されたりすることは起こりうる。
だが、自分から呼びこむのと、偶発的に起こるのは、違う。

極論は毒だ。
使いようによっては薬になるかもしれないが、基本的には危険なものだ。

意見を表明するというのは、0と100とのどちらにつくか、という話ではない。
0~100のどの辺りかを示すことだと思う。

無駄な摩擦で自分をすり減らさないためにも、人を傷つけなためにも、正しく適切に「自分の考え」を書けるよう、努力したい。
極端でない意見を書く人が、そして極端でない意見を求める人が増え、やたらと攻撃的ではない議論ができる状態が、増えるといいなと、思う。

タイトルについて

タイトルの解説を入れ込めなかったので書いておく。

といっても、0と100との間といっても101段階でなく、単位を変えればいかようにでも分けられるよね、というだけだけど。
0.1刻みなら、0.01刻みなら、と増やしていけば、という話。

まぁ、最終的にはジレンマだけどね。