灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

「共感」という要素をブログに取り入れれば、きっと凄いことになる!


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 ブログの記事を読んでいて「あぁ、確かになぁ」とか「あるある!」って思うことありませんか? 私はよくありますし、そういう記事は面白くて伸びているような気がします。

 より楽しんでもらえる、読んでもらえる記事を書こうとした時、この「共感」は結構大事なんじゃないかと考えました。そこで、「共感」について考えてみたいと思います。

 では、いってみよー。

共感とは

共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。
共感 - Wikipedia

 共感とは、「あるある!」「わかる!」って言えるような状態とか感情のことだと思います。

 この間、こんなツイートをしたところブロガーさんからの反応があって面白かった、ということもありました。これも共感をされたからの反応だと思います。


 共感、面白いです。

「あるある!」の強さ

 共感というのは、「反応したくなる」作用があるような気もします。誰かが発した言葉に共感を覚えた時、「そうだよね!」「あるある!」と言いたくなることありませんか?

 この作用、ブログを読んでもらいたいと思う人は無視しないほうがいいのではないでしょうか。TwitterはてブFacebookでの拡散のきっかけになりうるからです。


 「あるある!」の良い点には、ポジティブな反応であることも挙げられそうです。共感は、「見た人も同じ気持ちなどを持っている」という点で「批判されにくい」形に見えます。否定されるにしても、自分もそう思う以上は、「分かるけどダメだよね……」程度にしか言えなくはないでしょうか。

 「俺もそう思うけど許されない、お前を絶対にゆるさないぞ!」などという人は相手にしなくていいと思いますし。

 「共感された」ということは、「肯定された」ということに近い気がします。


 共感は強いです。良い形で周りに広めたくなる感情って、最高だと思います。

博多あるある

博多あるある

 福岡あるあるでなく博多あるあるなんですね。読んでみたいけど、私は博多の人じゃないしなぁ(こだわり)

女性と男性

 少し脇道にそれますが、共感って女性のほうが強い気がしています。ブログを読んでいて、より共感できる記事をたくさん書いているのは女性なように思うんです。

 もちろん、男性は共感される記事を書けない(書かない)というわけではありません。男性の書かれる記事にも共感できるものはたくさんあります。でも、女性のほうが共感できる記事、共感されてる記事が多い気がします。


 なぜなのか考えてみると、ひとつ思ったことがありました。「男性は違いを、女性は同じを好む傾向があるのではないか」ということです。

 例えば、「こんなことがありました」と何かを書いてあった際、男性は「そんなことがあったんだ! すごいなぁ!」と言われたいのかなと思うことがあります。それに対して女性は「そういうことあるよね! わかる!」と言われたいのかなと見える時が多いように思います。

 私の感覚的なものなので、絶対でもないし間違っている可能性もありますが、なんとなくそんな傾向がある気がしています。


 上に書いたことが正しいとすれば、女性の方が共感される記事を多く書くというイメージも正しいのかなと思えます。共感されることが目的の一つならば、書き方や流れも共感されやすいものになっていっておかしくないと思うからです。

 相対的に男性の方が共感される記事が少なく見えるのは、共感ではなく驚きや称賛を求めることも多いからなのかなと思えます。


 脇道でしたが、「共感できる記事を書くのは女性のほうが多い?」ということについて考えてみました。

「共感しない」も悪くない

 共感する、に対して、共感しないというものもあると思います。反感を持つではなく、共感しないというもの。「そういう考え方もあるのか」とか「自分はそうは思わないな」的なことですね。

 「共感」は強い、良いと書いてきましたが、では「共感しない」は弱くてダメなのでしょうか。私はそうは思いません。


 共感しないことは、平均すると強くはないと思います。どうでもよすぎたり、極端すぎるものも全部含むからです。

 ですが、目からうろこというような「思いつきもしなかったけど良い考え方だな」というのもあると思います。「そういう考え方があることも知っていないといけないな」ということもあると思います。なので、弱いとかダメだとは言えないのではないでしょうか。


 共感されることはいわば「みんなと同じ」なことです。共感される記事だけを目指せば、みんなと同じことを探すだけになってしまうようにも思います。それはそれでいいけど、私はちょっと物足りない気がします。

 自分らしさ、自分だけの、人にはない、というようなものを探したくはありませんか? そんな時には「共感されない」こともいいと思います。

 結局はバランスですかね。共感されることも、共感されないことも。それぞれの良い点を知った上で上手く付き合いたいです。

エリカ

エリカ

 「わたしがわたしらしくいられる」という歌詞を思い出しました

ブログに取り入れるためには

 「共感」という要素をブログに取り入れるためには、どうすればいいでしょうか。


 まずは、共感されるという方向。こちらは「あるある」ネタを探すことだと思います。万人に共感されるもの、一部の人に共感されるものなど、いろんなものがあります。そういうものを探していくことは面白いと思ってもらえる記事を書くことに繋がりそうです。

 あとは、共感されないという方向。こちらは好き勝手書いていたらそうなりそうな気もします。自分らしさを出すためには、この方向も必要だと思います。その意見や行動などが面白ければ、記事自体も面白くなるでしょう。


 こんなことを思った、こんなことがあった、などにおいて共感されうるものは多くあります。「こんなこと当たり前だ」と思わずに文章化してみることが、共感されることへの第一歩かもしれません。

 みんなそう思うだろう「だから書く必要がない」、ではもったいないです。みんなそう思うのかな? と記事にしたら反応が集まったりするかもしれません。もしかしたらみんなはそう思わなくて、新たな発見がある可能性もあります。


 共感という要素をブログに取り入れるためには、当たり前を当たり前と切り捨てないことかもしれないなと思いました。

おわりに

 共感、力があって副作用も少ない要素だと思います。共感されることを目的とし過ぎると「当たり前のことしか書いてないブログだ」と批判を受けるかもしれませんが、そのくらいじゃないでしょうか。

 共感されることを狙っていくというよりは、当たり前を見過ごさず拾っていくという姿勢を持ちたいです。読んでもらえる、ネタが増える、一石二鳥ですしね!


 「あるある!」という記事を読んで、その力について考えてみました。どうだったでしょうか、この記事の中にも「あるある!」と思ってもらえる部分はあったかな。

 こんな感じで、今回はここまでです。おわり!


共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること

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 Amazonで「共感」で引いたら出てきました。読んでません。読んでみたいなーと思いました。