灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

敵とか味方とか決めずに、気になったら近づき気に食わなければ離れれば?


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 人付き合いに関して思ったことを書いてみます。

 あいつは敵だ! あの人は味方だ! みたいに決める必要があるのかなぁという話です。

 では、いってみよー。

関係性は永続のもの?

 世の中には、『一度「敵」とみなしたら永遠にその人は敵だ!』みたいな人ってたくさんいるのだろうなと思います。

 まぁ、それはそれで別にいいのでしょうけど、なんだかもったいない気がするなぁという思いがあります。どれだけ仲良くなったってその人のすべてを知ることは出来ないのに、いくつかの面だけ見て敵認定して永遠に敵だと思い続けるの、もったいないと思うのです。


 嫌なやつだと思っていたけど、いいところもあるじゃん、とか。いいやつだと思ってたけど、この部分は話が合わないんだな、とか。

 そういうことって出てくるはずで、前者ならちょっと見方を変えるもよし、後者なら話が合わない部分を覚えておくもよしだと思うんです。そこで、前者で「でもあいつは敵だから」とか、後者で「あなたは味方だから、その考え方は正しいんだね!」ってなるのはちょっとなぁと思います。

敵認定で排除していけば、誰も残らない

 私は敵味方という分け方がそもそも好きでないのですが、特に敵認定していく人にはあまり近づきたくないなと思います。敵と思われても味方と思われても面倒くさいからです。

 最初に気に食わない行動をとったら敵認定されて目をつけられる。味方認定されると仲間として扱われる。味方でも一定以上の気に食わない行動を取ると敵認定されかねない。そんなことを気にしながら、その人だけを気にして人付き合いしたくもないです。


 敵認定して排除していくタイプの人は、それまでの味方でも敵と認定する場合があり一度敵としたら二度と相手を認めない部分があるように思います。そういう人って、どんどん周りに信用できる人が居なくなっていくと思います。だって、一度敵になれば復旧不可能なのに、次々と敵認定していくわけですし。味方は新しい人が来た時しか増えるチャンスがありません。

 そういう人は周りが敵だらけでも構わないのかもしれませんが、見ている側としては敵でも味方でも面倒だと思います。上でも書いたけど、敵なら噛み付かれる可能性があり、味方なら敵にならないような行動を求められる。

 もっと穏やかには生きられないのかなぁ、と思ってしまいます。

気になったら近づく。気に食わないなら離れる。

 敵とか味方とか、決める必要ってあるんでしょうか。って言っても、多分あると思う人は考えを変えませんし、無いと思う人は「そんなのないに決まってるじゃん」と思うだけですよね。

 私はないと思ってます。


 どんな人にでも、気になったら近づいて、気に食わなければ離れればいいのではないかと思います。気に食わないからといって噛み付く必要はないし、気になっても味方や仲間認定する必要はありません。


 気に食わないと言っても数パターンあって、ただ見てて気に食わない場合、気に食わない言動をとられた場合、気に食わない行為をされた場合、というのがありそうです。

 前二つなら、押してもひとりごとのようなコメントをしつつ離れるくらいで収めておいたらどうかと思います。相手を攻撃しに行くのは論外ですし、いちいち注目しておく必要もないのではないでしょうか。

 自分に何かをされているとしたら、「されたことにだけ反撃する」のはいいと思います。でも、その人の過去を暴くとか、反撃と称してずっと周りに被害を訴え続けるとか、その人に反論と称した攻撃をし続けるのは過剰防衛とみなされてもしかたがないように思います。結局は、関わらないほうがいいのかなと離れる必要が出てくるのではないでしょうか。

仲良くやれればそれが一番だよね?

 せっかく同じ言葉を使っているはずなのでしたら、穏やかに済ませられる可能性があるうちは穏やかに済ませればいいと思うのは間違っていますか?

 石をぶつけられたからといって、次の行為が拳銃で脅すのではやりすぎです。本当に手斧が飛んできた(命の危機があった)ならそれもまたしかたがないかもしれませんが、そこまで驚異的な攻撃ってなかなかないですよね。


 敵味方判定をしてしまうとか、過剰な反撃をしてしまう人は、実は周りを信用出来ない人なのかもしれません。良いも悪いも見てくれている人はいると、思えない人なのかもしれないなと思います。自分の悪口を言われていても、分かる人は「悪口言っている人がおかしい人なんだな」と分かってくれるはず、と思えないのかもしれないなと思います。

 もう少し他人を信じてもいいのではないかなと思います。そうしないと、自分のことしか信じられなくなりますし。もちろん、分かってくれる人ばかりではないだろうけど、何をやろうがそれは一緒です。むしろ悪口の元を断とうとしたほうが、悪評が立って分かってくれない人が増えます。

 自分は悪くないと思うなら、大手を振って自分らしくやれるはずです。わざわざ嘘を言っている人を潰す必要、あるでしょうか?

変わらない人は居ないよね

 こんなことをつらつらと書いてきましたが、数日後には私が「あいつはおかしいですよ、皆さん気をつけて!!」と言っているかもしれません。そういうことってあり得ると思います。

 良くも悪くも人って変化していくもので、変化したいとかしたくないとか、変化してよかったとかやっぱり戻ろうとか、評価することが大切だと思います。


 今そうだから未来永劫そうなはずとか、過去そうだったから今も未来もそうなはずとか、そんなことないはずです。人は変われますし、変わりますから。

 でも、変えられると思うのは傲慢だとも思います。人を変えてやろうってのはうまくいくこと少ないし、余計なおせっかいであることが多いです。

 私がこの記事を書いているのも、誰かを変えてやろうってわけじゃないです。読んだ人が何かを思うかもしれないけど、それは読んだ人側の問題。私はただ、思ったことを書いているだけです。


 まぁでも、「自分は変われるはずがない」と思う必要はないし、過去に変な発言がある人が居ても「もう変わったのかもしれない」と考えてみてもいいように思います。

おわりに

 周りが敵だらけ、味方だらけ、敵味方入り乱れている、どの状況も「その人が」作ったものです。敵味方とか考えなければ、そんな状況ありえませんし。

 敵の敵は味方とか、味方の敵は敵とか、そういう関係が一概には言えないのが人と人とのつながりですし、自分と他人のことも、他人と他人のことも、わざわざ関係性を固定する必要ないじゃーんと思いました。


 なんだかんだ言ってきたけど、私が思うのは「議論とかしたくても敵味方とか言い始めたら出来ないし、お互いを尊重し合いつつその時々で考えようよ」ということ。

 あとは、

 みんななかよく

 ということですね。


 書きながら数人の顔やアカウントが頭をよぎりましたが、特定の個人への指摘や批判、攻撃を意図してのものではないと明示しておきます。

 では、今回はこのへんで。おわり!