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灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

リアルでの「空気を読む」は常に最善ではないかもしれない。でも悪でもないと思う。


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 「空気を読む」ことについての話、ネットではわりとよく目にする気がします。私の観測範囲では、「空気を読む必要はない」とか「空気を読まなければならないという考えが苦しみを生む」みたいな内容が多い気がします。

 そのことに真っ向から反論する気はないのですが、極端になるのもどうなのかと思う部分があるので書いてみたいと思います。

 では、いってみよー。

空気を読む=悪?

 空気を読む、すなわち相手の考えを汲んだ行動を取るとか、その場の流れを意識した言動をするとかって、悪いことなのでしょうか?

 私にはそれが悪いことだとは、どうしても思えません。悪いことがあるとすれば、それが過度になった場合だと思います。相手のことを考えすぎて発言ができないとか、その場の流れがまずい方向に向かっていると思っても修正できないとか。


 空気を読むというのも、適量ならば通常のコミュニケーションの範囲内ではないでしょうか。空気を一切読みません、という人と話をするのはすごく大変です。話の前提やその場の常識を一切聞きませんと言われるのと変わらないからです。

 コミュニケーション能力は必要、でも空気を読む必要は全くない。これは矛盾していないかなというのが私の考えです。空気を読むというのに「過度に」というのが隠れているなら分からなくもないけど、あえて隠して「空気を読むべきじゃない」と言うのはちょっとまずい気がするのです。

空気を読んで空気を読まない?

 空気を読まないべき状況というのは、あります。その人の本当の意見を求められている時や、話し合いが煮詰まっている時、斬新な意見がほしい時、人に流されるべきではない時などです。

 ですが、そういう状況の時はむしろ「空気を読んだから」こそ「空気を読まない」という選択肢が出てくると思います。最初から「空気を読まない」と決めているわけではなく、その場の雰囲気を見て「雰囲気を壊してでも言うべきだ」と判断するわけです。


 「空気を読む必要はない」「空気を読んではいけない」というのは、優しそうに見えて非常に無責任な言葉に見えます。読める範囲で読めばいい、「空気読めよ」という言葉を気にする必要はない、というのは分かるのですが……。

 「自分は空気を読むのが下手だ」と思う人、おそらくたくさん居ます。というかそう思う人の方が多いのではないかとすら思います。ですが、だからといって放棄していいことじゃないと思います。

 人と何かをするなら相手のことを考える必要は少なからずあり、相手のことを考えることがすなわち空気を読むことにつながると思うからです。読めるなりに、読もうとする。そしてその上で「考える」。そういうことが必要じゃないでしょうか。

なぜ「空気を読む」ことが非難されるのか

 「空気を読む」ということがどうこう言われるのは、「空気読めよ」という発言に反発するものが多いのではないかと思います。空気という漠然としたものを強者の勝手な考えで作り出し、それに沿うことを強制する。そういうことが嫌われて、「空気を読む」という実際は広い意味を持ちうることが、否定されるのではないかと思います。


 私は、空気を読むことは努力すべきことではあるけど強制されるべきものではない、と考えています。空気なんて、よほど明確になっていなければわからない部分のほうが多いし、明確になっていたらもう空気じゃなくてマナーやルールです。

 読めてないと責めるのは馬鹿らしいと思います。読めるかよと思うのも分かりますし、空気を読まないとと思い詰めるのは危ういと思います。


 相手のこと・相手の気持ち・その場の流れ・明確にはなっていないマナーやルールなど、できる範囲で想像して汲み取る。そういう姿勢をもつこと。

 自分の思う空気に沿わない人間を叩いたり、馬鹿にしたりしないこと。「空気」が共有されること、「空気が読めること」をあたりまえだと思わないこと。

 そういうことが必要だと思います。

人は多かれ少なかれ空気を読んでる

 言葉の意味をぼかしてしまう気もしますが、私はコミュニケーションのほぼすべての場面で空気を読む機会はあると思います。そして、ほとんどの人はそれを意識・無意識どちらでもやっていると思います。

 例えば、会話していて。言葉にした単語の意味だけで多くのことを伝えるのは非常に難しいです。その言葉を出した時の状況だったり表情だったり語順だったり、いろんなところから情報を汲み取って、意思の疎通と言うのはなされていると思います。

 そんな明確でない情報を汲み取ることだって、空気を読むことだと思うんです。


 書いていて気づきましたが、私が「空気を読むことを否定すること」を嫌うのは、多分この考えがあるからだと思いました。コミュニケーションで相手を観察したり情報を汲み取ろうとすることも「空気を読む」と言うとすると、それを「しなくていい」と言われたら会話もままならなくなり得ます。

 例えば人に言いたいことがあるとき、相手が疲れていたり傷ついていたりして通常の状態じゃなかったとして。空気を読んで「後で言う」という選択は私はありだと思うのです。でも、空気を読むなと言われればおそらく「すぐ言え」となるのでしょう。私はそれがあまり好きでないのです。


 空気を読む。常に、過度に、読む必要はどこにもないと思います。でも、読む必要がない、読んではいけない、とは思いません。

結論とか?

 最初に「空気を読む必要はない」と「空気を読まなければならないという考えが苦しみを生む」というのを出しました。私は前者は否定して、後者はそうかもなと思います。

 そしてその上で、「できる範囲で読んで、その上で沿うか沿わないか決めればいい」と考えます。


 極端な意見というのも、私は悪く無いと思います。本当にそう考えている場合もあるだろうし、ひとつの意見として出している場合もあるだろうし、それはそれでありだろうと。

 ですが、ネットにあるような極端な意見をリアルに持ち出すのはちょっと危ないかなと思います。考えるのはいいけど、行動する前にもう一度見直すべきというような感覚です。


 「空気を読んではいけない」みたいな意見も、聞いて「空気を読みすぎていたな」と反省するのはいいと思うけど、「よし、もう空気は読まないぞ」と思うのは危ないと思うんです。

 当然のように行われていたことを、完全にやめると酷いことになる場合があると思います。空気を読まないというのは、程度にもよるけど酷いことになりうる気がします。

 そして酷いことになったとしても、「ネットで言ってた人」は責任をとってはくれません。


 何がいいたいのか分からなくなってきたけど、そんな風に思う面もあって、「『空気を読まない』は絶対に正しいのかな、危険な面もあるかもよ」という記事を書いてみた気がします。

 ま、一意見として受け取っていただけると幸いです。「空気読めや」という記事ではないので、そこは取り違えの無いようにお願いしますね。

おわりに

 私はおそらく、「空気を読みすぎて苦しむ」タイプの人です。特にリアルでは、相手の顔色やらその場の雰囲気やらを気にしすぎて苦労します。読んだ上で判断しようとは思っているけど、知ってしまうと動きづらくなる面もあるにはありますしね。

 なので、「空気を読まなくていい」というのはすんなり受け入れてしまいたい言葉なのですが、経験上「振り切れるのは危なくないか?」と思っています。

 「私は空気を読まない!」と宣言している人も知り合いにいますが、本当に読んでいないかといえば微妙な割に、評価や状況は芳しくないように見えますしね。その人特有の状況かもしれませんが……。


 ここまで書いたことは、基本的に全て「リアルで」のことです。ネットでは得られる情報量がグッと少なくなるので、空気を読もうとするとむしろ良くないこともあったりで話が変わる部分があるかと思います。


 「空気を読む」ことについて、書いてみました。ちゃんと伝わるように書けたかやや不安ですが……。伝わるといいなぁ。

 では、今回はこのへんで。おわり!

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