灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

記憶力と理解力。お互い補える部分もある力。自分の得意を知ればいいのではないかな。


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「記憶力がいい人」なんていない。いるのは「理解力が優れた人」だけ
この記事を読んで。

確かになと思う部分もたくさんあったが、どうだろうと思う部分もあったので、言葉に起こしてみたいと思う。
これから書くのは私の勝手な考えで、一つの考え方でしかないと私も思っている。念のため。

ある程度までは、記憶力と理解力はお互いを補える

まず、私はこう思う。なので、理解力が優れていると記憶もできるというのはあると思う。
記憶力だけで無理に覚えなくとも、理解すれば覚えやすいというのは確かにあるからだ。

しかし、ならば記憶力などといったものはなく、理解力がすべてだろうか。
私はそうは思わない。
理解力が噛み砕く力だとしたら、記憶力はそれを飲み込み自分の一部にする力だと思う。

ある一点を超えると、記憶力と理解力は別物になる

どこまで噛み砕いても、自分の一部にしておかないとすぐに使えるようにはならない。
使うたびに毎回噛み砕く必要があるのだ。それは面倒くさいし、時間がかかる。

数学の公式があったとする。
理解力があれば、公式の導き方を理解し、覚えやすくできるだろう。
しかし、覚えておかなければ、毎回、公式を導かなければならない。

理解力があれば、導いた公式から問題は解けるかもしれない。
でも、時間制限があるテストだったら、導いている時間はないかもしれない。

理解力と記憶力がお互い補える場合と、補えない場合。
私はこう考える。

逆もまたある

理解力があれば記憶力を補えるように、逆もまたある。
考えられる全てを単純記憶して、必要な時に思い出せるなら、それは理解とあまり変わらない。

公式を使った問題も、解ける。公式の導き方も覚えているから、導く問題も、解ける。
それなら、理解しているのと変わらないように見える。

もちろん、応用が効きにくいという問題点はある。
覚えていないレベルの応用が出ると、太刀打ち出来ない場合もある。

だが、理解力でも問題はあるのだから、同じようなものだ。
例えば、データを求められた問題は、いくら理解力があっても推測までしか出来ない。具体的な数値は記憶の中になければ分からない。

自分の得意を知ればいい

結局のところ、自分の記憶と理解の適性を把握していれば、それでいいと思う。
記憶が得意な人の学び方と、理解が得意な人の学び方は少しだけ違うからだ。

記憶が得意な人は、模倣が得意だろうと思う。やり方を覚えてその通りにするようなことに向くかもしれない。
理解が得意な人は、創造が得意だろうと思う。アイデアから新しいやり方を作り出すのに向くかもしれない。

どちらも、いいし、どちらかしか出来ないというわけでもないはずだ。
不得意なら不得意なりに伸ばしたり、補う方法もあるだろうし。


少しだけ私の話をすると、私は確実に「理解」の方が強いタイプだ。
というか、「記憶」が弱すぎる。英単語を覚えるとか、数十ならまだしも、数千は厳しい。
ただし、英文はそこそこ読める。知っている少量の単語から、想像力と理解力で推測する。
そんな感じなので、記憶が強い人には憧れるし、いいなぁと思う。

記憶力と、理解力。近いもので、お互い補える部分も多いもの。
でも、違うもので、どちらに強いかを自分で知っておいたほうがいいもの。

私は、そう考える。

あとがき

元記事をあまり読み込まずに書いたので、ズレとか同じ事言ってるじゃん、ってこともあるかと思う。
あと、元記事のこの部分は? みたいなことはおそらく山ほどあるし、私が読み返しても出てくるかと。

内容の追記はしないので、なにか思いついたら新しく記事にして、リンクだけ追記する予定。
まぁ、書かないかもしれないが。