夏がくれば思い出す 焼けるアスファルト 遠い空 蛙と蝉の大合唱
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この記事を読んで、夏休みを思い返してみました。昔の記憶は正直あんまり無いんですが、それでも「夏」という季節は特別な感じがあります。
小中高大とそれぞれの夏の思い出を振り返ってみたいなーと思います。
ラジオ体操とプール
小学時代の思い出はもうほとんど記憶に残っていませんが、夏休みといえば毎日のラジオ体操と時々ある学校のプールの開放を思い出します。
小学校に行く途中にあるちょっと開けた土地で、ラジオ体操。ラジオの時間は早すぎるからか、カセットに録音していたものを使っていた気がします。カセットテープとか、今も使っているのかなぁ。
プールは決まった日だけなのですが、水泳は唯一に近い得意なスポーツなこともあり楽しく遊んでいました。遠くから潜って友達に近づき足首を掴んで驚かせたり、手で水を飛ばして顔を狙ったり。よく遊びました。
小学時代の夏休みの思い出を振り返ると、あとは自由研究と称してノート一冊分のいろんなことをしたり(パンを作るとか、どこかへ行くとか、工作をするとか)、夏休み最後の日は母と妹と遊びに出かけるとか。
友達と遊ぶこともなくはなかったと思うのですが、自分から電話をかけたりアポ無しで遊びに行くのは苦手で家にいることのほうが多かった気がします。学校がある時は、学校で約束して遊びに行くんですけどね。
宿題は7月中にはポスター書きと自由研究と作文以外すべて終わらせて、することがなくなっていた記憶もあります。
長い夏休み、他に何をやっていたんだろう。外で遊ぶのが好きなタイプでもなかったので、家で妹と遊んでたんでしょうかね。そんな気もします。
ラジオ体操の公開録音に行ったこともあった気がします。いつだったかなー。将棋大会と受験期
中学時代の夏休みの思い出は更に少ないです。将棋部に入っていて、その活動が夏休み中も何度かあったなというくらい。
8月頭などに地域の将棋大会があったので、毎年それに出場していました。そう大きくない大会で、地域内だけだったので普段は強い人も少ない、けど毎年プロを呼んだりもする大会です。実は今でもお手伝いに行ったりしています。
1年の時は予選で同率が2人出てくじ引きによる敗退(その相手には勝ってた)、2年は決勝トーナメント(ベスト8)で敗退、入賞を狙った3年の時は県外勢も交じってた特別な年で2年の時と同じくベスト8(決勝トーナメント1戦目)で敗退でした。
基本的にはうちの学校の将棋部で一番強い人が優勝することも多いイメージだったので、県外勢が来た3年の時は悔しかったですね。入賞したかった。1年のくじ引きも悔しかったけど。
1,2年の夏休みは部活くらいしか記憶がありませんが、3年はちょっと特殊で記憶に残っています。私がこれまでで唯一、塾に通った期間だからです。
友達が塾の夏期講習に行くらしいから自分も行きたい、というくらいの感覚で入って、なかなか大変でした。毎日夕方から夜中まで勉強勉強で、帰って宿題を済ませてネットして寝るという生活。起きたらまた塾です。
大変でしたが、充実していた気もします。楽しかったし。勉強は好きですし、中間テストで下から2番目だったのに最後のテストですごくいい結果(多分トップ)を取ったりして結果を見ても満足のいくものでした。
結局、夏期講習で満足して塾は続けなかったのですけどね。続けていたら高校受験でもう1ランク上げられたかもしれないけど、そのつもりもなかったし。
夏期講習のテストなどの数値は自分的にかなり満足いくものだったのですが、2年後に妹にあっさり抜かれることになります(笑) 最終的には妹は県内のランキングに出てましたしねー。夏期講習ではないけど。
話がそれましたが、中3の夏休みは塾漬けで、最後の1週間(夏期講習終了から夏休み終了まで)で学校の宿題をやることになるのですが、塾の宿題と比べたら楽すぎてすぐ終わった記憶があります。
そんな中学時代の夏休みでした。
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合宿、夏季課外、体育祭
高校時代の夏休みは正直夏休みじゃなかった印象です。休みほとんど無いし……普通は。
高校ではちょっと特別なコースに通っていたので、合宿とかありました。台風が来ているというのに海の岸壁で貝を取ってきたのが1年生の時かな? 大学でいろいろな体験や研究をさせてもらったのが2年の時だった気がします。
1年の後半からぼちぼち不登校化していたので、2年の合宿とか普通は出られまいという状況だったのですが、無理やり行きました。行きたかったし、いいよね!(周りにはどう思われていたやら)
学校自体は嫌いでしたが先生や友達は好きで、合宿だとかイベントごとは楽しくやっていた気がします。
で、夏休みと言えば夏季課外。盆周辺の短い期間を除いて、基本的にはずっと学校でした。本当は。1年の時は多分ほとんど行ったんですが、2年3年は逆にほとんど行ってません。単位の要件にならないし、不登校だったので。
まぁ、後半は体育祭の練習が入り始め、そこは体育の単位の要件になるため出ていましたが……。
3年の時には組体操的なものの大車輪(だったと思う)という技の責任者になって、指導しつつ振り回されていました。身長は高かったけど体重は誰より軽かったので、上に乗るのが最適でたまにふっとばされつつ頑張りました。
3年の体育祭の組体操的なものは、全体のテーマも私の意見が通ったり(トロイの木馬をやったら楽しくないかと前から思ってて)してかなり一緒に頑張った気がします。まぁ、結果(点数)的にはあまり良くなかったですけどね。
部活にも入っておらず、色恋沙汰もなく、課外授業もサボりまくり、他には多分書くことが無いです。
高校時代はそんな夏休みでした。
高校時代の思い出の夏の歌と言えば。でも町中で流さないで、泣く、泣くから!部活、恋、水遊び、旅行
大学の夏休みは長かったので、いろんなことがあった気がします。
大学時代は8月に県大会があるので部活部活だったかな。9月には九州大会だし、9月半ばからは幹事のお試し期間があったりで忙しくしていました。
3年の夏休みは心の調子を崩して引きこもっていた気もしますけどね。1、2年の時は忙しかったです。
恋してたなーと言えるのは2年生の時。彼女と一緒に花火大会に行ったりもしましたよ。3つくらい残っているいい思い出のなかでも一番いい思い出かもなぁ。
2年の頃はいろいろ充実してて、毎月いろんな企画をやったりしてました。夏休み特別企画も2つ3つやったから、すごかったです。
水遊びもそのひとつ。部室にビニールプールを用意して、ひたすら遊ぶという。水風船を作りまくったり、バケツで水をかけまくったり、水鉄砲を壊したり、すごく楽しかったです。またやりたいけど、もう無理だろうな。
あとは、旅行にも行った気がします。夏休みだったかは怪しいけど、大学時代は九州山口をうろちょろしていたので、どこかしら行ったはず。
鍾乳洞に行って水が冷てぇと笑ったり、バス借りて遊園地に行ってみんなで周ったり、ピクニックだとお弁当作って遊びに行って山の上で食べたり。いろいろやりました。
部活のメンバーとずっと一緒で、遊びまくって、本気で練習して大会に出て結果も出して。酒飲んでぶっ潰れたり、すごく大きな食べ物を作ってたくさんの人で食べたり。焼肉行って死ぬほど食べたり、バーベキューしてちょっと物足りなかったり。
多分、もう少ししたら忘れ始めるであろう思い出が、今はまだいくらでもあります。泣けるくらいあります。
またあのメンバーで遊びたい、と思うけどなかなか難しくなりつつあります。でも、夏に福岡に来る先輩がいるといえば飲みを開き。遊びの計画を立てる人が出てきてそれに乗っかり。年に一度は同期で飲もうぜと約束もして。今でもつながっています。
大学時代の夏休み。あの場所に、あの人たちの中に居られたことを本当に嬉しく思います。
部活の1年の時の思い出の曲。いい曲ですよね。夏の思い出
夏がくれば思い出す~ という童謡。大学の思い出の曲のひとつといえるような気がします。大学の授業でも歌ったことがありますし、部活でも歌いました。
今回のタイトルにしたのは、続きじゃないんですけどね。本当は「はるかな尾瀬 遠い空」ですが、尾瀬ってなんだっけという思いと、私の中にある夏はこんな感じかなという思いで、こんなタイトルになりました。
夏の思い出。遠い記憶はもう残っていなくて。近い記憶もだんだんと薄れてきています。
問題は、これから。あと何度の夏を迎えることになるかは分かりませんが、余程のことがない限り、まだ半分は来ていないと思います。
そのこれからの夏で、大学時代の夏と並ぶもしくは越える思い出を作りたい。そう、思います。
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おわりに
夏の魔力ってのはすごいですね。思い出を書き始めたら止まらなくて、普段の倍くらい書いています。
暑いの嫌いなんですが、「夏が来たな!」とは毎年思います。すぐに「まだ夏は終わらないのか」と思いますが(笑) 最近は楽しい行事も少なくなっているので、そう思うのかもしれません。
せっかくの夏です。いっぱい面白いことをして、いっぱい楽しい思い出を作りたいと思います。企画して、人を巻き込んで、実行していきたいです。
あなたの夏の思い出も、ぜひ教えて下さい。
私の夏の思い出でした。では、今回はこのへんで。おわり!