レールを外れず走れる人は、レールに乗っていた方がきっといいよ
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タイトルでほとんど言いたいことを言い切っている気がしますが、そんな感じです。
この記事を読んで、曲解してもにょりつつも共感を覚えたんですが、この手の記事を読んだ時にいつもひとつ言いたいことがあるなーと感じました。
それが、タイトルですね。もちろん、筆者さんが「レールを外れた方がいい!」と言っているわけでないのは分かっていますし、自分の周りに目を向けた方が有意義ではないかということには私も大いに賛同します。
が、「レールを外れたっていいじゃない」というところだけ読んで「無責任に煽ってる!」という人が出てきそうだなーと感じて、私ならタイトルみたいな文を付け加えるだろうなと思いました。
私の考えたことをちょっとだけ書いてみます。いってみよー。
外れてしまった人を叩く必要はない
レールに乗っていられなかった人を叩く必要はないと、レールから降りてしまった私が言うと自己弁護的になってしまうけど、思います。
「ちゃんとやる」の「ちゃんと」は人それぞれでいいと思います。人に迷惑をかけてたりするなら是正すべきと言われるのもおかしくないと思いますが、多くの人がやっているというだけの「ちゃんとしたこと」を押し付けるのは、解決策にはならないように感じます。
いろんなレールがあっていいはず、という考え方は好きですし、そういう方向性はもっと広がっていいはずだと考えています。
無理やり外れる必要も、乗らないことを勧める必要もない
と同時に、レールに乗っかれるなら乗っかっててもいいんじゃないかと思います。レールを盲信して、何かが起きて放り出されたらどうしようもない、というのは困る気もするけど、そうじゃなければいいわけですし。
踏み固められた道を歩くほうがかかる労力は少ないですし、ノウハウだってあるはずです。それを否定する気もありません。
レールに乗ったまま他にも目を向けることの方が、レールに乗らずに自分で模索するよりもまだ楽なはずです。地盤があると他に目を向けづらいのはあるけど、向けづらいだけで向けられないわけではないと。強制的に自分で探さなければならない状況になるよりは、余裕もあると思います。
レールに乗っている人を誘惑する必要も、レールに乗ろうと頑張る人に「そうじゃない方がいい」と吹き込む必要もないと思います。
一応補足ですが、上の記事がそういうことを言っていると思っているわけじゃないですよ。もしそういうことをする人がいれば、その必要があるのかなと思うという話です。
たくさんの道があることを、正しく認識できる状況を
就活に失敗したから、最初に入った会社でやっていけなかったから、絶望して死ぬ必要はないと思います。
そんなふうに思い悩む人には、いろんな道があっていいということを知ってほしいと思います。
いろんな道、いろんな生き方があっていいこと。でも決められた道よりも道無き道のほうがより苦労したり、どうしようもなくなる可能性が高いかもしれないこと。
そんなことを、多くの人が正しく認識することは、追い詰められる人を減らすことに繋がるかもしれないと思います。私はそうなってほしいと思います。
「こんな道もあるよ」と教えると「そそのかしてる!」という人が出てきますが、それは違います。「ある」と「やってみよう」は違うはずです。
情報を絞っておいて「やってみよう」と書くのは無責任です。最終的な選択をした人に責任があるとはいえ、そそのかすならそそのかすでちゃんと情報を提示すべきだと思います。
たくさんの道があっていいと思いますが、それを選ぶ・選びなおす時にはできるだけ多くの情報のもとで選べる環境があるといいと思います。
レールを外れず走れる人は、レールに乗っていた方がきっといい
つらつらと書いていたら、タイトルの内容が直接出てこなかった気がするので最後に私の考えとして補足しておきます。
私は大学中退して、なんとか入れてもらった会社もやめて、2014年10月18日現在は無職です。
レールを外れてしまった感がありますし、レールに乗れない人間だったんだろうなという思いがあります。これから乗せてあげるよと言われたとしても、やっていける自信はどこにもありません。
そんな私が思うのは、「乗っていられる人は乗っていた方がいいのではないか」ということです。
上で書いたように、レールに乗った上でレール以外の道を研究するほうが、レールに乗っていない状態で手探りで探すよりいいと思うから、ということ。
また、レールに乗っている方が対外的な信用を得られやすい、ということからです。少なくとも現時点では、サラリーマンや公務員をして「普通」に働いている方が信用されやすい状況だと思います。
乗れる人がわざわざ降りて苦労する必要はないと思います。放り出されて苦労するのが嫌だとしても、最初から苦労の道に入る必要は無いのではないかと。
レールに乗れるというのも才能だと思います。大多数の人が持っているので気づかれにくいけど、才能だと。持ってない人も少数ですがいるのですしね。
せっかくの才能、活かしたほうがきっといいです。最終的にレールを降りるとしても、レールの上で吟味してからにすることを、おすすめします。
おわりに
私は「レールに乗っていたかった」人です。乗れることなら乗りたかった。でも乗っていられなかった人です。
そんな私だから、乗れるなら乗っていればいいのに、と思うような気もします。もしかしたら本当は、レールを飛び降りてしまったほうが絶対にいい、のかもしれません。
上で書いた中で私が最も強く思うのは、「レールに乗っていられるのも才能」ということです。普通だと言われることが普通にできるということだって、才能だと言えると思うんです。
私がどうしても得られていない力を持っている人、たくさんいます。なのにそれをむざむざ捨てようとしてるなら、もったいないなと。
よくよく考えて、最終的にやっぱり要らないと思うのは否定しませんが、ろくに考えもせずその場の勢いで捨てるようなら、それはもったいないなぁと。
私は正直、レールに乗るのはほぼ諦めました。それ以外の道を探していくしか無いんだろうなと考えつつ、今はまだ見つけられていない状況です。
勘違いされそうな気がしたので書いておくと、レールに乗るのを諦めたと言っても、雇われて働くとか、そういうのを一切合切やる気が無いというわけじゃないです。出来ないこともあると考えようと思ったということです。できることはやるつもりです。
大学を出て、新卒で入った会社に40年、みたいなレールは一度踏み外せばほぼ戻れません。正社員で入って、その会社にすべてを捧げる、みたいなレールは私には無理そうです。レールと言ってもいっぱいあると思うので、そのうちの「多くの人が選んでいそうなもの」のいくつかを諦めたという話です。
ま、私の話はいいか。
「レールを外れたっていいじゃない」とも思うけど、「レールに乗れるなら乗っていたらいいじゃない」とも思うなという話でした。
では、今回はこのへんで。おわり!