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灰色の棚

適当な話を適当に書くので、適当に見ていってください

「こう思う」という意見に対しては「そう思うのかぁ」でいいんだよね?

考えた 考えた-思索


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 私はこれまで、自分が書いたもの・言ったことに対して「私はこう思うが」みたいなことを書かれた時、「えーでも」とか「いや、それは」とか自分の意見をより説明したいという気持ちが湧いていた気がします。

 でも、それって必要なのかな、と思い始めました。別に誰がどんな意見を持っていようがいいよねと。


 考えたことを出すという行為と、意見する・質問するという行為を分けて考えた方が良さそうだなーと、思いました。

 以前にも似たようなことを考えたり書いたかもしれませんが、また思ったのでいろいろ書いてみたいと思います。では、いってみよー。

アクションを求められているのか否か

 自分の考えに対して異なった考えがぶつけられた時、説明するのが悪いと思っているわけではないです。したければ、していいと思います。

 ですが、その「ぶつけられたもの」が、こちらのアクションを求めているのかどうかは気にしてもいいんじゃないかと思いました。


 例えば私が「たくあんがとても好きです!」という記事を書いたとして、「たくあんはダメ、福神漬こそ至高」というコメントが付いたとします。

 その時、「たくあんはダメじゃない! こんなに良い所あるんですよ!」と言っても別にいいですが、「ふーん、そう」でもいいですよね。

 これ、たくあんだ福神漬だと言っているから当然に見えるけど、考え方であったりだと「ふーん、そう」で済ませる選択肢が見えないことがある気がします。


 上の例だと「たくあんはダメ、福神漬こそ至高」というコメントは、別に「返事をしろ」というわけでも「考えなおせ」というわけでもなく、きっとただ思ったこと書いただけですよね。

 こういう、こちらにアクションを求めていない反応にいちいち揺さぶられていたらきついなーと考えました。

他人の反論を潰したいという思い?

 あと、異なった考えがぶつけられた時に「なんでこんなこと書くんだろう」と思うのは、「他人の反論を潰したい」という思いが無意識にあったのかもしれないなと思います。

 私は「考えたことを書くことは、犯罪だったり人に多大な迷惑をかけない範囲では自由にやって良い」と思っていますが、そう思いながら「自分の考えと反することを自分の領域に書かれることを防ぎたい」と動いていたような気がするんです。


 「褒められたい」じゃなくて「貶されたくない」という思いが強かったのかなと思います。でも、それによってフェアじゃない状態を作ろうとしていたのかもしれないなと。

 「私は何を言ってもいいけど、私の見える範囲ではあなたの言うことを制限します」って、言葉にするとなんだか嫌な感じです。「私は何を言ってもいい」というならその後に続けるのは「あなたも何を言ってもいいけど、わたしが何を言い返すのもいいですよね」くらいではないかと。

 結局言い返すこともありそうなのでやっていることは変わらないかもしれないですが、「なんでこんなこと書くんだろう」は「書くのがおかしい」という考え方で、「こんなこと書いてきやがった」は「書いた内容がおかしい」かなーと。今までは前者の受け取り方をしている部分もわりとあった気がしますが、後者にしていきたいなと思いました。

答えが出なくても出していこう

 ある人がAと言い、別の人がBと言った時、見ている人から「答えが出ないから言わなくていい」みたいな発言が出ることがある気がします。私も「答えが出ないっぽいから書く必要ないかな」と思ったことありますし、没にした記事もいろいろある気がします。


 ですが、そうじゃない気もしてきています。「答えが出ないことも言っていい」のではないかと。「私はA」「僕はB」「「へー、そうなんだ」」で別にいいと。

 そこで喧嘩になるなら不毛な気がします。どっちも正しいとか、正解がないようなことでがたがた言っても終わりが無いですし。でも、出すことは無駄じゃないと思います。少なくとも見ている人は両方の考え方を知れるわけですよね。


 私が「たくあんが好き」で、読んだ人が「福神漬こそ至高」と言っている時、どっちが良いとかないわけです。自分はそう思うってだけなら、どちらだって正解ですし。

 「答えが出ないことも言っていい」ということは、「答えが出ないことを言われる可能性を肯定する」ということだと思います。それを怒りで排除しようとするのではなく、そういう考え方もあると知れたと消化していきたいです。

おわりに

 ここまでしっかり読んでくださった方の頭の中には、内容よりもたくあんと福神漬けが残ったのではないかと思います。私がそうだからですが。

 うまい例を出そうとしたら、おもいっきり例に引きずられた気がしますが、まぁいいかな。


 自分が意見を出すことを肯定するためにも、人が意見を出すことを認めるべきだ、と考えたこと。認めたら反論や説明だけじゃない選択肢がより出てくるのではということを書いた(タイトルとか)、つもりです。


 自分のブログにつく反応だけじゃなくて、ネットでの「こう思う」「いや違う」みたいなやりとりに疑問を覚えていたんですが、考えは自由に出していい、という考え方をしていけばいろいろ納得ができる気がしました。

 私が今回思いついたような考え方をしていれば、他人と「こう思う」「あー思う」ってぶつかった時に外野が「ファイッ!」って言ってても、「いやいや戦いじゃないし」と思えそうだなと。そう思えるなら、いろいろ言っていけるかなーと思いました。


 というわけで、私はこう思うよーみたいな記事、今後増えるかもしれません。もしかしたら、増えないかもしれません。

 いろいろ考えてみた記事でした。では、今回はこのへんで。おわり!