理系とか文系とか、そんなものを一生引きずる必要、無いのでは?
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文系・理系という分類に、疑問を感じます。正直、そんなに気にすることじゃないのではと思います。コンプレックスを持っている人いるみたいだけど、なぜ文理選択したからって、もう一方を無理だと思ってしまうのか、と。
いろいろ思ったことを書いてみます。間違ってるかもしれないけど、とりあえず私の考えです。
高校時に必要なのは分かる
文理の選択って、高校での教科選択のために必要なのだろうな、と想像はできます。理科を2つする人、社会を2つする人、数学を3Cまでする人など、いろいろな選択肢がある中で、クラス分けとか実際に教える側の手間とかを考えると、必要だろうと。
ですが、そこでの選択なんて、大したことないと思うのです。たかが2年(高校2年に上がるときに選択するイメージ)勉強したからって、極められるわけでもなし。取り戻せないものだと思えません。
そう思うのですが、理系だから~とか、文系だから~とか、そういう偏見じゃないのそれというような意見が、世の中にあふれています。
叩きたいから分けてない?
時々思うのが、なにか問題が起こった時に、自分と違うと思いたいから、そうやってだから○○は、と叩きたいから分けていないかということです。
テレビのコメンテーターが科学ネタでトンチンカンなことを言った時、それを叩きたいから、これだから文系はと言ってみるとか。共感して欲しかったのに理詰めで説得されて腹が立ったから、これだから理系はと言ってみるとか。
で、そんなために分ける人がいて、その分け方が当たり前のものだと思ってしまって、隣の芝は青い的にコンプレックスを抱いたり、ということが起きている気がするのです。
思い込み >> 才能
人の才能って、そう簡単に測れるものではないと思います。出来ないと思ってたけど、やってみたら出来たとか、一度やって出来なかったけど、方法を変えたらすごく上手くなったとか、ありますし。
理系教科は出来ないとか、文系教科ができないとか、才能があるないより思い込んでて出来るものも出来なくなってる、という方が多いのではないかと思います。
そりゃ、極めようと思えば才能もいるかも知れませんが、使えるようになるくらいなら、だいたいの勉強は理解と反復練習ではないでしょうか。
理解できないんだよ、と言われるかもしれませんが、難しいことを一発で理解できる人は、理系文系問わずなかなかいないと思います。様々な面から見て、考えて、理解できるようになるまで出来るか、ということではないかと思います。
そもそも
理系の分野で文系科目が必要ないのか、逆に文系の分野で理系科目が必要ないのかといえば、そんなことないと思います。
経済学って文系でしょ、数学がいるの? とか言ったらめちゃくちゃ怒られそうな気もしますし、理系って国語いらないよねとか卒論書いている人に言っても怒られそうです。英語を文系科目と言うかは分かりませんが、もし言うなら、理系でも死ぬほど要りますし。
結局、文系とか理系とかなんて、高校の中のすごく短い期間に、便宜的に決められたものでしかないと思うのです。それを一生引きずる必要はないのではないかと思うのです。
片方を選ぶと、もう片方は見えないことが多い
なぜ、理系と文系と別れた感じがして、それが消えないのか。考えてみると、一方を選んだ人はもう一方と触れ合う機会が減るからではないかと思います。
私はたまたま、高校では理系のコース(2年時に選択なしで最初から理系なコース)、大学では文系大学の理系科目という感じで動いたため、高校では周りは理系ばかりで、大学では周りは文系のほうが多い環境でした。だから、両方をある程度見て、別にそれほど変わらないよね、という感覚を得ました。
まぁ、変わらないじゃんと私は思っていても、友人たちは自分は文系だからとか言っていましたが。理系側は、理系なのに数学できないよーとか言ってる人のほうが多かった気もします。
文系だから数学できないと言う人いますが、理系でも数学できない人はできないですから。そんなもんです。
おわりに
理系とか文系とか、そういう垣根を越えればいろいろ楽になる気がするし、垣根を作らないほうが自由な発想が出てきそうな気がします。
大学生という、何でも出来る気がする時期に、自分が文系だとか理系だとか、型にはめるのはもったいないなと思います。
また、文系理系を引きずってコンプレックスにするようなのも、もったいないです。そんなどうでもいい括りにこだわらず、自分自身に目を当てられるといいのになと思います。
文系でも国語力が散々な人が居て、理系でも数学がさっぱりできない人が居る。それなのに、自分がどちらかだということを意識する必要があるでしょうか。
理系とか文系とかにこだわるのはもったいないなという話でした。
おわりっ!